慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【履修状況】レポート作成とEスク視聴とのバランス

4:30起床。

[Eスク社会学特殊]は、4回配信分途中まで進んだ。通勤時間やスキマ時間を十分に活用している。とにかく移動の際にはiPhone片手に聴きまくっています。

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kcc-channelで[コミュニケーション論]が〈添削中〉のステータスになったのですが、ふとFGK(不合格)になった場合のことを考えた。レポが不合格でも試験は受けられるのだが、だとしたらすでにレポ合格している[日本法制史Ⅱ]を受験したほうがいいのではないかと思いはじめている。
そうするなら、[コミュニケーション論]や[アメリカ政治史]は順送りとなって、後者は2020年1月受験という段取りでもいいかもしれない。同じD群には[人文地理学]もあるので、そちらのレポを出してみて・・・。
[Eスク社会学特殊]は通勤でなるべく視聴していって(といっても今週分は明日で視聴し終わるかな。メモとっていないけれど)、机に向かえるときにはレポ作成に取り組むことにしようか。
かといって、そうするとEスクのメモがとれなくなったりして。このバランスが大変なんだよなあ。ぶつぶつと独り言が多くなるこのごろ。

【履修状況】Eスク、iPhone視聴可能ということに今さらながらに気づいたのだった

5時起床。
Eスク法哲学を今週配信分まで視聴し、つづけてEスク社会学特殊を視聴するが90分以上あるので中断。つづきは通勤しながら!
驚いたというか嬉しかったのは、Eスク、iPhoneでも視聴できることを発見したこと(慶應通信界隈では、今さらながららしいけど)。
昨年は、Kindle抱えてテザリングしていたのだが、それから解放されたということで個人的にはとても嬉しかった。
社会学特殊の第1回目は視聴終わり。2回目は帰宅途中で聴いていった。

kccチャンネルをチェックしたら、[コミュニケーション論]が〈添削中〉になっていた。
ふう。
これで7月試験は受けられるかな。
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【履修状況】新規レポ提出、Eスクはじまった

4/15から、2019年度のEスクーリング(Eスク)がはじまった。今回は、[法哲学]と[社会学特殊]の2科目受講。
現時点で[法哲学]の3回目を視聴したところ。それぞれ1コマ50分を21回ほどなので、40回以上講義を聴くことになる。
しかも、この3ヶ月以内に。ブログを更新している場合ではないが、去年も同様に2科目([ゲーム理論][日本政治論])受講したが、これに放送英語が加わっていた。
スキマ時間という時間には小忠実に聴いていた記憶がある。
さて、とにかく溜めることなく聴いていきましょう。

新規レポは、[コミュニケーション論]を4/15に提出した。
あとから考えると、テーマが卑近すぎるなあと思い、テーマ設定からするとこれは不合格かもしれないと思っている。とにかく夏の試験に向けて弾みをつけたいところ。f:id:zocalo:20190416153551j:plain

さて、Eスクがはじまると、とにかくずっと視聴しているので、なかなかレポート作成がままならない。ふだんでもままならないのに、もっとままならなくなる。
次は[地理学Ⅰ]に着手したいのだが、はてさて。
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【小さな旅】金時山へのぼってきた

5時起床。
昨日は、関東近郊の金時山に登ってきた。あの「金太郎」伝説の山ですね。

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金時神社口入り口
いくつか登山口があるが、金時神社口からスタートした。

途中、こんな奇石も。

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金時山の宿り石。田公時(金太郎)と母の山姥が夜露をしのいだとされる大岩。

意外に険しい神社口ルート。途中の景色はなかなか。
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登ること、約2時間ほどで頂上へ。f:id:zocalo:20190414134431j:plain
ついでに地理学Ⅰのテキストを持ってきた。ご利益あるだろうか。
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そんなわけで、乾杯!
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【履修計画】夏のレポート作成計画

4時起床。ふう、起きるのがまだしんどいなあ。
天気が良くなったのが、幸いくらいの気分。

本日は、所用のため会社を休んで、九段坂上界隈へ出向いた。朝方に用事を済ませたらもうフリーなので、千鳥ヶ淵靖国神社あたりを散歩する。今年の桜、よくもったほうだが、もうそろそろ見納めだろう。f:id:zocalo:20190411221952j:plain
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散歩から帰宅途中に日吉キャンパスに立ち寄って、いくつか文具を購入し、武蔵小杉に帰投。地元図書館で[地理学Ⅰ][アメリカ政治史]レポ作成のための資料をとってくる。

さて、そのレポート作成なのだけれど、7月の夏試験の〆切は5月27日。あと46日。何本仕上げられるか。
目標は4本としたい。
夏試験には[コミュニケーション論]を作成すれば、それ以外はレポ貯金があるのでしのげる。しかし秋試験のことを考えるとせっせと蓄えなくてはならないし、再レポも処理していかないといけない。
ということで、

  • コミュニケーション論
  • ヨーロッパ中世政治思想
  • 国際法
  • 地理学Ⅰ

でレポート作成計画を仮設定してみる。これに再レポ2本が加わる勘定になる。レポ〆切まではあと46日だから、だいたい7日に1本の割合・・・・_| ̄|○

とにかく一歩一歩進んでいきます。

【履修計画】追加履修科目のテキストが届いた

5時起床。また雨だなあ。身体が重たくて仕方ない。

帰宅すると、追加履修科目のテキストが2日つづけてポストに入っていた。
1日目は[人文地理学][地理学Ⅰ][地理学Ⅱ]、
2日目は[新・日本外交史Ⅱ]。
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前者は今年から3分野共通科目となったもので、法学部としてははじめて履修できる科目。興味をひかれていたので、今年のレポート課題を眺めたら、どうもわたしがイメージしていた〈地理学〉とはだいぶ違う。とくに[地理学Ⅰ]は経済学だろと思ったら、テキストのまえがきを読んだら〈経済地理学〉という文言があった。あ、そうなのね。

[新・日本外交史Ⅱ]は[日本外交史Ⅱ]の後継科目。
テキストを執筆されたのは添谷芳秀先生だが、じつは[日本外交史Ⅱ]レポで先生の著作である『日本の外交』をたまたま参考文献とさせていただいた。

日本の外交: 「戦後」を読みとく (ちくま学芸文庫)

日本の外交: 「戦後」を読みとく (ちくま学芸文庫)

これが滅法面白い。慶應通信関係の外交史の本は、細谷雄一先生のもそうだし、池井優先生のもそうだが、とにかく〈読み物〉としてもクイクイいける(by 殿山泰司)。
いや、失礼しました。乙類冥利に尽きるんです。
この[新・日本外交史Ⅱ]テキストは書き下ろしですって(当たり前だ)、ますます楽しみ~。
じつは[日本外交史Ⅱ]はすでにレポ合格しているし科目試験も受けようと思っているが、[新・日本外交史Ⅱ]のレポもつくっちゃおうかなあ、提出できるんだろうか。なんか勝手にテンションあがっているけれど。
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【本】鶴見優子『オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方』を読んだ

鶴見優子『オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方』(セルバ出版)、読了。

オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

作者は言う、

いつの世も、人が”何か”をはじめるには、人の数だけ「理由」があるものだ。

トルストイの伝で言えば、その「理由」のかたちは人それぞれ違う。向上心、克己心、チャレンジスピリッツ・・・何かをはじめるタネもいろいろ。
作者の場合には「自尊心」だった。自意識といってもいいその厄介なシロモノが、彼女に巣くってから彼女の苦しみがはじまる。やがてそれは〈学歴コンプレックス〉へと成長して根雪のように彼女の意識へと横たわるようになる。

その意識を払拭しようと彼女が出会ったのが、「慶應通信」すなわち「慶應義塾大学通信通信教育課程」だった。宿願とも言える〈学歴コンプレックス〉克服の妙薬は、しかし最初の彼女には強すぎた。不合格レポートの量産、科目試験の不出来といった想定外の出来事が、彼女を苦しめ、やがて彼女はその〈妙薬〉から身を遠ざけるようになってしまう。

その〈妙薬〉に再び作者を近づけたのは、他者による〈軽蔑の眼差し〉だった。まるでマグネシウムが燃焼するときのように、彼女はその〈視線〉に激しく反応し反発し、再び慶應通信へと戻っていく。そこにはそれまで逃げ腰だった自分とはまったく違ったもうひとりの鶴見優子がいた。

数々の勉強を積み重ね、学友とのユーモラスな交流も重ねて、ようやく卒業試験にいたる。卒論のテーマは、日本の女性教育者たちである。棚橋絢子、三輪田眞佐子下田歌子、津田梅子。彼女たちは明治の〈男尊女卑〉の烈風のなかで、勁草のように日本の女性教育の先駆として活躍し、後進への道を切り拓いていった。
そして卒業試験が終わった後、自分が卒論執筆に使った資料を見ながら(それは彼女にとっての〈戦友〉だ)、彼女は不意に悟るのである。

「日本の女性が学問する道を切り拓いてくださり、ありがとうございました」
自分の母校の女子大の創設者にも同様に、感謝の意を持ったその瞬間、私は過去の私と和解した。

それは〈学歴コンプレックス〉を払拭したことを意味しているのではないとわたしは思う。それは過去の自分を受け容れたことなのではないか。
そしてその瞬間にこそ、わたしたち読み手もまた、彼女に祝福の両手を差し出したのではなかったか。