夕方、息子を保育園に迎えにいってその帰り道、近所のローソンに立ち寄ったら、あらびっくりお菓子の「シベリア」がありました。
シベリアというのは、羊羹をカステラで挟んだ「和菓子」のようなものですが、生クリームの代用が羊羹ということのようです。
わたしはこのお菓子自体は知っていましたが、印象に残っているのは、宮崎駿の『風立ちぬ』に登場したシーン。映画を観たあとに探して食べてみましたが、うーん、さほど美味しくもないしまずくもない(笑)。懐かしいという〈風味〉が残った、という感じです。
さて、映画で印象に残ったというシーンというのは、主人公の堀越二郎が、夜中に子守をしている女の子にお菓子のシベリアをあげようとするシークェンス(場面)です。
二郎は自分用に(?)買ってきたシベリアを、夜薄暗い街灯の下で子守をしている、貧しそうな小さな女の子へと手渡そうとする。
でも、女の子はそれを拒否してその場から立ち去ってしまうんですね。帰宅した後で、その顛末を同僚の本庄に伝えると、「そりゃ、偽善だ」と喝破されてしまいます。「おまえ、その子がにっこりして礼でも言ってくれると思ったのか?」と半ば呆れられるのです。
わたしはそうだと同感したのですが、わたしの周りにはそういう感覚が理解できなかった人もいました。つまりあのシーンでは、女の子はシベリアを受け取るべきだというのが、彼女の主張です。わたしの知り合いは、キリスト教的な意味合いにおいて、労働(あるいは善きこと)の対価は受け取るべきだというのです。
本庄は、二郎の「よく思われたい下心」を見抜いているとわたしは理解しました。映画の中の女の子は二郎の下心を直感で悟り、回避した。
でも彼らの言わんとすることを、二郎は理解して得心することができないんですね。