兵庫県知事選というひとつの〈磁場〉で、このふたりがまた交錯するとは、なんと希有な光景だろう。
勝谷誠彦さんと日垣隆さん。かつて長野県知事選で田中康夫さんが出馬したとき、このふたりが彼を支えていた。「信州の金角銀角」と呼ばれていたのだ。
日垣さんのメルマガ(2017年6月29日号)から引く。
友よ。きみは、外からは元気一杯に見えても、また20歳くらい若く見えても、やっていることはアメリカ大統領よりよほどシビアな戦いであり、しかし愉快にやっている。彼とは戦友でもある。よく死ななかったなあ。2人とも2桁近く拉致られている。思想はかなり違う我々に共通しているのは、もし極悪非道に捕まり身代金を要求されたら、そんなものは自分であらかじめ用意しておくだけでなく、外務省の世話にはならないとの遺言を常に書いていたことなどだ。ふと思うのだが、我々は「チャレンジ!」と涼しい顔をしているけれども、良く言えば「0.1%でも可能性があれば、無論必要なことは100%に変える!」、悪く言えば「危険が好き」な面は否定できないのかもしれない。
そしてまた、勝谷さんのメルマガ(2017年6月30日号)からも引く。
楽屋に入って、私は言葉を失った。そのひとがいた。そのひとは私が最後にあった時とはまったく違う風貌で、痩せられて、顔色も白っぽく、しかし眼ばかりは最初にあった時とおなじく鋭い光芒を放っていた。日垣隆さんであった。 演説前なのだから、泣かすなよ。親友であり盟友であり同志よ。私と年齢があまり変わらなく、田中康夫さんを長野県知事にしたひとである。その鋭い舌鋒と、作家としての美しい著作群は私の憧れであった。余談ながら。こう書いて来ると、司馬遼太郎的で嫌なのだが、田中さんによる長野革命というのは時間をおいてかなり日本国を動かしている。「安曇野の軍師」高橋「ヨロン」茂が今回、私の選挙の総指揮をとり、日垣隆さんが駆けつけるのだから。
それぞれの言葉を引いたわたしには、いまは遠くから勝谷さんの勝利を祈るしか術はなく、不甲斐なさのみがおのれの背中を打つのである。 どうか、どうか!