慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

審判を見守る日に

赤座林です。あと12時間後には、兵庫県知事選も都議選もその大勢が判明する。泣いても笑ってもというやつだ。 そのどちらにも直接的な関係がないわたしは、静かにこんな本を読んでいる。勝谷さんの〈選挙参謀〉である、髙橋茂さんに関係した〈選挙〉本である。

「デジタル(インターネット)と政治を結びつける」という髙橋さんの、しかしその「はしがき」にあるこの言葉はどうだ(『電網参謀』)。 髙橋さんはあるときに大事なクライアントのデータをすべて消失する事態に陥ってしまう。それは彼の運用設計ミスが原因だった。デジタルの世界では、データがなくなるということは、この世にはまったく存在しなくなることを意味する。文字通り0か1なのだ。 髙橋さんはクライアントには説明と謝罪をしつつも、データの復旧にかける。それが報われたとき、彼はこう述懐する(適宜改行は引用者)。

結局、事故が発生してから完全に復旧するまで3週間かかった。そして、二重・三重のセキュリティを施した堅牢なシステムを新たに構築した。 この間、ユーザーで私を非難した人はひとりもいなかった。このユーザーたちに対して、私はいったい何をすべきだろう。何を望むだろう。それは、ビジネスの相手としての関係ではなく、充実した活動であり、ひとつでも多くの成果をあげて、支持を広げてもらうことではないのか。

この思いが勝谷さんの選挙サポートにつながっているのではないか。長野県知事選の話も〈デジタル軍師〉の話も、とても楽しみながらページをめくっている。

家人は絶対反対するだろうが、一度は選挙というものに係わってみたいなあなんて妄想する日曜日の昼下がりなのであった。