慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

星野道夫のドキュメンタリで思い出す、彼の声彼の佇まい

赤座林です。子どもたちの夏休みが通常運転へ。また慌ただしく過ごす朝晩がはじまりました。 日々の慌ただしさを「面倒くさいなあ」と思う傍らで、ふと録画していたNHKドキュメンタリ「星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語」を観ましたが、わたしが過ごしている時間とはまったく違う流れ方をしている世界があり、羨ましく思ったりしました。

もう20年以上前のこと、星野道夫の声を生で聞いたことがあります。 池澤夏樹がパーソナリティで、真冬の深夜にオンエアされたラジオ特番(FM TOKYOだったと思う)でのこと。池澤の指名で、星野がゲスト出演したのでした。

衛星のちからで(いや、いまならネットの力で、というべきか)、地球のどこからでもライブな映像のやりとりができる今、遥か彼方といっても、日本からせいぜい5600キロしか離れていない(ハワイより近い)アラスカのフェアバンクスから、池澤の呼びかけに応えた星野の声を耳にしたときは、何とも不思議に新鮮でした。

その会話自体に、特段の奇を衒ったような趣向があったわけではありません。星野の抑制の効いた、穏やかな語りが、冬の凍てつき荒れたベーリング海峡を渡って届いているかと思うと、とても不思議な気がしたものです。 彼は、アラスカに構えた自分の家にいました。時折、彼の近くで、ぱちぱちと薪が爆ぜる音がしました。 その音がするたびに、彼の周りの静けさは深くなっていくようでした。 「ああ、この人は、いまアラスカにいるんだ」と改めて感じ、そう感じることで僕もその静けさを自分の近くに引き寄せることができました。インターネットがいまほどに生活の一部をなしていない時代の話です。

その星野は、1996年8月8日、急逝します。 それは不慮の事故でもあり、起こるべくして起きた事故でもありました。あっけない幕切れと言って良いでしょう。 彼の死に方に、多くの人が悲しむというより困惑したに違いありません。彼の死は、彼の本を眺めているわれわれからずいぶん遠い場所で起こりました。物理的な場所というより、その状況が、です。 「熊に襲われる」という状況があたりまえに起き得る場所から、われわれはとても隔離している。そういう人生もあるのだ、という想像力を、どれだけ失っているかということに気づいて愕然としてしまいました。

星野道夫は散文だけでなく、優れた語り手だということは、このドキュメンタリで取りあげられていた『旅をする木』だけでなく、彼のエッセイを読めばすぐに腑に落ちます。 丁寧で具体的で体験的。鳥瞰と虫瞰とを使い分けてアラスカを語っています。近代以前の原初の自然が残るアラスカの姿が、そこにあるのです。

アラスカという土地は、まずもって太陽を意識せざるを得ない、と星野は言います。

でも面白いもので、十二月の末に冬至がありますよね。 (中略) 冬至が過ぎると気分的にすごく楽になるんですよね。なぜかというと、冬至を境にして日照時間が延びてくるからです。実際一番寒い時期は一月から二月にかけてなんですが、冬至を過ぎるとやっぱりなんとなく春を感じるというか、一日一日少しずつ日照時間が延びていくことがとても嬉しいんです。

また、彼は人間の暮らしに関心がある。単なるリゴリズムな自然主義者ではありません。だから、彼は南極には関心がないというのです。なぜなら、そこに人々の営みがないからだ、と。

(前略)例えば自分と同じ歳くらいのインディアンの若者と出会ったときに、僕とは全然違う環境で育ってきたことにすごく興味があるんですね。育った環境は全然違うんだけれども、一回の一生としては同じなわけです。 いろんな民族のいろんな人間が世界で生きていて、皆違う環境で生きていながら、一つだけ共通点があって、それは誰もが一回の一生しか生きられないということです。 本当にかけがえのない一生というか、それはどんな民族のどんな人間にとっても同じことなわけですよね。そういうふうに人の暮らしを見ていくと、いろんな問題がありながらも、誰もがいちばんいい形で一生を送りたいとという思いを持っていて、その部分は同じだと思うんです。

上記の引用は、星野のエッセイ『魔法のことば 自然と旅を語る』からですが、この本では同じようなエピソードが繰り返し語られます。池澤夏樹が解説で言うように、その文章はゆっくりと味わうべき性質のものでしょう。近代以前の世界が、まだこの地上にはわずかながらでも遺されていることを、彼は教えてくれているのですから。

その言葉は錆びることはありません。けれど、彼の新しい本はもう上梓されることはないのと思うと、寂しい。彼自身の写真を見るたびに、冬の夜、あの暖炉で爆ぜる薪の音を思い出します。

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