慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

真情溢るる新聞コラム(その2)

昨日のつづき 朝日新聞の「名物コラム」(「名コラム」ではない)の歴史と問題点については、日垣隆『エースを出せ!』(文春文庫)を、そして深代惇郎の「天声人語」が持っている「コラムの矜恃」については、坪内祐三『考える人』(新潮文庫)を、手にしていただければと思う。

日垣さんの本については前回で引いたので、今回は坪内さんの本から。 彼がそこで紹介しているのは、田中角栄元総理退陣につながった「文藝春秋」立花隆児玉隆也レポート(「文藝春秋」1974年11月号掲載)にたいする、深代惇郎自身が「天声人語」でみせた、コラムニストの矜恃と勇気だ。

雑誌『文藝春秋』十一月号が特集した「田中角栄研究--その金脈と人脈」のレポートは、もっと問題にされるべきだ。もしここに書かれてある内容が事実ならば、そのそのような人を総理大臣に持ちたくない。もし事実でないならば、首相は身の潔白を自分の言葉で説明すべきではないか。

とはじまるコラム「角栄研究」は、10月19日の朝日新聞朝刊に掲載された。

「文藝春秋」の発売日は毎月10日である。とすれば1974年11月号の発売は10月10日(この日は祭日だったので翌11日に書店に並んだ)。 しかし巷間よく言われているように、このレポートが公開されても世間は、いや報道はそんなに騒がなかった。

新聞の政治記者の多くが(もちろん、朝日新聞だって例外ではないでしょう)それを知っていたにもかかわらず、「あえて書かない」という反応だったという。 ようやく火がつくのは、10月22日の外国人記者クラブでの、文春レポートにたいする角栄自身の釈明からだった。

その3日前に、深代惇郎は、朝日新聞の一面のコラムで自身の意見を述べたのである。 彼は勝ち馬に乗らなかった。 乗る前に旗幟鮮明としたのだ。 坪内さんはこう評している。

皆が騒ぎ立ててから、それに乗っかるように、ある意見をはくのは簡単です。しかし、そうなる前に、このようなきっぱりとした言葉を口にするのは勇気がいります。しかも舞台は「天声人語」です。それが、たとえ個人的な意見であったとしても、世間はそれを、朝日新聞社のオピニオンとして受けとめ、それに意見します。 そのことを充分に自覚しながら、深代惇郎は、「天声人語」を舞台に、自分の声を発信し続けました。

朝日新聞のサイトには、「深代惇郎天声人語」がいまもいくつか掲載されている。拳々服膺をお願いします。

http://info.asahi.com/guide/tenseijingo/fukashiro.html