慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【読書会】中島敦「山月記」を読む

本日は地元で読書会。117回目。図書館で開催した。

取りあげたのは、中島敦山月記」。高校の教科書では定番中の定番である。 んが、ちゃんと読んでいる人ははどれだけいるか。

この読書会、「はじめての文豪」シリーズと銘打って、今回で2回目。前回は漱石の『坊っちゃん』。 夭逝の中島敦を「文豪」をと呼ぶのかという意見はあったものの、わたしのなかでは「文豪」の定義は明確ではない。

その為人、人生というよりは、彼の発した言葉に興味があるといったらいいか。

中島敦が「山月記」をデビュー作として発表したのは1942年2月である。だが、彼はその年の12月初旬に死去した。気管支喘息が原因だった。享年33。

祖父も父も漢詩の素養があった。その血を受け継いで、いま残されている「山月記」を読むと、そのリズムの小気味よさ、読後の爽快感は力強く大らかで何とも心地よい。

彼の紡いだ言葉を、少しだけでもなぞり、彼と彼の紡いだ物語に寄り添ってみる。

それがこの「はじめての文豪」読書会の意味だ。

まだいろいろと足りないことは解っているが、なにが足りないかが解らない。それでもね足を運んでくれる方のために、まだ次も読む。