慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【村上春樹】「選択事項(オプショナル)」としての苦しみ

6時起床。昨夜は娘が隣に寝ていて、初中終足蹴りしてくるので熟睡できやしない。それでも、朝方はいつもより涼しくて身体がホッとしている。こういうときに体調を崩しやすいのだ。

慶應通信の夏期スクーリングがはじまっているけれど、参加されている方たちはほんと大変だろうと思う。予習もして最後は試験がある。ひょっとしてレポート課題もあったりして。明日以降の台風13号接近が気になるところです。

日曜日の「村上RADIO」の余韻がつづいていて、たしか番組のサブタイトルには「RUN & SONGS」とあった。

とくれば、この本を手にしてみるしかない。

わたしは「前書き」にある、あるパラグラフが好きだ。

あるときパリのホテルの部屋で寝転んで、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙を読んでいたら、マラソン・ランナーの特集記事がたまたま載っていた。何人もの有名なマラソン・ランナーにインタビューして、彼らがレースの途中で、自らを叱咤激励するためにどんなマントラを頭の中で唱えているか、という質問をしていた。 (中略) その中に一人、兄(そのひともランナー)に教わった文句を、走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻しているというランナーがいた。Pain isinevitable.Suffering is optional.それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえでごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。

慶應の通信教育も、きっとこれと同じことが言えるんだろうと思う。苦しみをくぐり抜けたときに、「学ぶことについて語るときに僕の語ること」が手元に残っていると信じたい。