慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

旅立つ家人と残されたわたしたち

6時起床。よく寝た寝た。この土日月と、すんげえ寝た(気がする)。おかげで、仕事中もふらつきがなくなった。疲れがたまってくると再発するんだろうけど。

今日から、家人が2泊3日で福岡へ小旅行にでかけるので、短い休みが終わったとたんに、子どもたちの世話をわたしがすべてやらねばならない。平日の最中に旅行なんてしやがって、なんて一言もいわない健気さを持ちたい。

今日は早めに退勤して、子どもたちを公文教室へ送っていく。娘はかけ算の筆算(25×3とかのレベル)のステージに進んで手こずっているようだ。待合コーナで2時間近く待つことになった。 腹ペコペコだが、頑張っているのは娘本人だ。待つしか無いわけで、わたしはその間にディケンズ『荒涼館』(岩波文庫)の新訳を読みはじめる。19世紀ロンドンでの法廷シーンからはじまる。法学部の学徒にはうってつけかもしんない小説。詳しくはこんどはじめる予定の読書日記で。そんな暇あるのかって声はとっくに聞こえています。

さ、明朝の朝ごはんのことを考え終わって、まったくサボっている[政治学]のレポートへ。今週送るのだ。