慶應鶏肋録

お気楽極楽勉強道楽。慶應義塾大学通信教育課程 法学部乙類学生(71期秋期)の卒業目指すジャーナル。

自分がいちばん辛いときには、詩を書けるような人間になりなさい。

いつものように朝起きて、息子の保育園支度をする。 今朝はなんだか初動が遅くなった。そういう時いつもなら彼を怒って急かすところだが、昨日大きな仕事が終わったことで少し余裕があるからか、わりあいに優しく声をかける。

彼を乗せた自転車を駐輪場の出口まですすめたところで、スマホが震えた。fbの投稿の知らせ。いつもなら後で確認するところだが、なぜか今朝は違った。時間的な余裕はないはずなんだが。さささと手元で確認してみる。

コラムニスト日垣隆さんの投稿。

【畏友 勝谷誠彦さん 逝く】

ん? 「逝く」って、どゆこと?

昨朝のヨロンさんのメルマガでは「矯正施設に入れることを断固としてやる」みたいなことを書いてあったはず。恢復の途上にあったのではなかったのか。 慌ててメールボックスにアクセスする。ヨロンさんのメールをひらく。

すると、はたして、勝谷さんは逝ってしまっていた。

はたして。

ほんとうに。

とたんに胸が苦しくなっった。自転車が急に重みを持ってグラリと揺れた。慌てて手元に集中しようとするが、ココロがこの場にいない。

勝谷さんは、今日の午前逝ってしまった、という。

なんとか息子を保育園に預けられたが、その後がダメだった。駐輪場に自転車を置くと駅には向かわずに、そのまま自宅に戻り、かみさんに向かって泣いた。

「勝谷さん、死んじゃった」

「どうする?」と見透かしたように彼女が言うので、「お別れに行く」と答えた。 会社にこのまま行くことはできない。いや、うそだ、行ける。行けるが、それは自分に嘘をつくことになる。 だから、お別れに行くことにした。

尼崎。

はじめて降り立った駅は、雨がかなり激しく降っていた。涙雨だ。沛然と。滂沱の。阪神尼崎駅から、傘を差して川沿いを葬儀場まで歩いていった。

とくに知り合いもいないし、もはや業界人でもないから一般人として受付した。ホールの入り口で、故人との関係はと芳名帳から問われたので「ライター講座受講生」とだけ書いた。弟子でもよかったし生徒でもよかったかもしんない。でも、それは故人との距離感について嘘をつくことになるから、受講生とだけした。

通夜がはじまるまでの待っている間に、自宅の本棚から持ってきた、勝谷さんの講義ノートを開いて眺めていた。残されたいくつかの言葉をぽつりぽつりと拾う。最終講義は2002.11.12、「詩」についての講義だ。 わたしの講義メモの最後には、こう書かれていた。

自分がいちばん辛いときには、詩を書けるような人間になりなさい。

と。 そして、こうも書き添えてあった。「小説は営業の一環です」とw 「詩の同人誌をつくれ」ともあった。

自分がいちばん辛いときには、詩を書けるような人間になりなさい。

尼崎は涙雨だった。これじゃまだまだだね。

さようなら、師匠。 さようなら、勝谷さん。御冥福をお祈りいたします。