慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【刺さる読書】加藤秀俊『独学のすすめ』

あるジャンルの勉強のためにスクールに通おうかと思って、都内周辺あちこちのスクールをネットで見て回ったのだけれど、どうもしっくりこない。

そのことを、その勉強を進めてくれた人に話したら、
「それはムリしないことです。きっと独学で身につけなさいということですよ」
とおっしゃった。

独学かあ。
この生来のナマケモノに、そんなことができるんだろうか。半信半疑をとっくに通り越して、真っ向から自分を疑っている。

そういえばと本棚を見渡してみたら、加藤秀俊『独学のすすめ』(ちくま文庫)を見つけて手にしてみた。1974年に雑誌連載したとあるから、もう40年まえのエッセイになる。

独学のすすめ (ちくま文庫)

独学のすすめ (ちくま文庫)

 
通しタイトルは「教育考」。自ら学ぶことへのエッセイだ。
歴史を振り返ってみると、学校教育という制度は新しく、もともと知識というものは「独学」によっておのおのの個人が自発的に獲得するものだった。
しかも現在、ICT技術の急速な進歩によって、時間と空間は圧縮され、海外の有名大学の授業が無料で受講できたり、英語がたやすく学べる環境が整い、「独学」の可能性はますます広がっている。
著者の加藤は評論家にして社会学者。wikiをのぞくと、かなりの多作で、魅力的なタイトルが並んでいる。

巻頭の表題作「独学のすすめ」。イギリスに住んでいたある動物好きな女性が、<独学>でチンパンジーに関する(いまでいうならサル学)世界的業績を発表するまでを書いたエッセイ。

彼女は動物好きだったが、高校を卒業するとロンドンにでて平凡な秘書の仕事に就いた。タイプを打ち、手紙を整理する。そんな毎日だった。
ある日彼女のところに、アフリカの友だちから遊びに来たらという誘いの手紙が届く。
しかし薄給の彼女には旅費がつくることができない。

幼い頃からの動物好きの血がが騒ぎ、なんとしても行ってみたい彼女は、思い切ってその秘書の仕事を辞めて自分の田舎に戻り、そこでウェイトレスの仕事に就く。冷静に計算してみると、秘書よりもウェイトレスのほうがじつは多くを稼げることが解ったのだ。

旅費をためて、ようやくアフリカに飛んだ彼女は、アフリカの自然と動物を堪能するが、1ヶ月ほどはその友だちの家に厄介になっていたものの、いつまでも居候ではいられないと職を探そうとする。

その彼女に友だちは、動物学の権威である博士を紹介し、彼女は博士の秘書として働くことになる。
この出会いが、彼女がチンパンジーの研究で世界的業績を残す最初のとば口になるのだが、もちろん単純なシンデレラストーリーがあったわけではない。
そもそも彼女は博士の秘書であり、もっといえばこれまでアカデミックの勉強をしてきたわけではなかった。高校を卒業してすぐに秘書になった、単なる動物好きの平凡な女性だった。
そこからどうやって研究者となり、チンパンジー研究を究めたのか。
それを成し遂げたのが「独学」だ。

彼女を有名にした一冊の本は、『森の隣人―チンパンジーと私』 。著者はジェーン・グドール。

森の隣人―チンパンジーと私 (朝日選書)

森の隣人―チンパンジーと私 (朝日選書)

ここまできて、著者の加藤はこう言う。

学問をするためには、学校へ行かなければならない、というのはひとつの常識である。だが、ジェイン(ジェーン・グドール:引用者註)の本を読みながら、わたしはこの「常識」は、ひょっとして、とんでもない間違いなのではあるまいか、と思った。
(中略)
学校というのは勉強のための場のひとつであるにすぎない。ほんとうに勉強しようとする人間は、「独学」でちゃんとやってゆける。

そして、さらに言うなら、「好き」ということが彼女のエンジンだったのだ。
この本が書かれた時代から40年後のぼくたちのまえには、「独学」するのに充分な環境が整っている。
しかし最終的には、「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない」のである。

さて、このエッセイが連載された雑誌というのは、「ミセス」。いまのこの雑誌にこういう種類の、いわば教養のエッセイのようなものは載るのだろうか。