慶應鶏肋録

お気楽極楽勉強道楽。慶應義塾大学通信教育課程 法学部乙類学生(71期秋期)の卒業目指すジャーナル。

「ロミオとジュリエット」を、声に出してはじめて読んだあの夜。

6時起床。
昨日は、ラゾーナ川崎の劇場「プラザソル」で、『カワサキ ロミオ&ジュリエット』を観てきた。演出家で畏友のAsh女史(カワサキアリス)さんが翻訳・脚色・演出するシェイクスピア劇だ。
kawasakialice.com

その公式パンフレットに、わたしとこの戯曲との関わり、わたしとAshさんとの関わりの一文を寄せてもらった。
よかったら、是非観て欲しいです。
あ、お芝居のほうね!

武蔵小杉というベッドダウンで、「はじめて触れる戯曲」というワークショップをひらいている。毎月1回、原則として第3金曜夜に、Ashさんを特別講師に迎えて。
今年で3年目になるこのワークショップが、いったいどんなきっかけではじまったのか、とんと記憶力が弱いわたくしはまったく覚えていない。はじめた当初には「せいぜい3ヶ月くらいで終わるだろう」とタカをくくっていたことはしっかりと覚えているから(そういう詰まらないことはよーく記憶している)、はじめるきっかけなんて軽いノリだったんじゃないだろうか。

シェイクスピアって名前くらいは知っている。その人が「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」って物語をたくさん書いたことも知っている。そのあらすじだって、そりゃまあ人並みには知っているつもり。
チェーホフだって、イプセンだって、そうそう「アンティゴネー」ね、ギリシャ悲劇の。三島由紀夫の「卒塔婆小町」も、野田秀樹も。

しかし、こうしてリストアップした戯曲のうち、いったいどのくらいの戯曲を、わたしたちは最後まで読み終えることができたろうか。
戯曲は、役者のために書かれた表現形式だ。舞台で演じるための物語だ。だから、黙って電車の中で、あるいは家のソファに寝転んで静かにひとりで読むのは、案外以上に苦痛なのである。
そしてその結果、わたしたちのまえには、添い遂げられなかった物語が、沈黙とともにいくつかの地層となって横たわっている。

いったい、「ロミオとジュリエット」とは、ほんとうはどんな物語なんだろうか。
ひょっとしてとんでもなく莫迦莫迦しい話なのではあるまいか。くだらない厨二病の連中の悲劇ではあるまいか。それとも、純粋なだけの退屈なラブロマンス?
たとえば、そんなことだ。
そしてそれを知るためには、少なくとも納得するためには、わたしたちは最後まで物語を読まなければならない。物語と添い遂げなければならない。

そしてそのためには、〈声〉の助けが必要だ。
わたしの声、あなたの声。ひとりの黙読では立ち向かうことはできない。

〈声〉が武器となって、あるいは寝所に誘う香水となり、台詞とト書きの連中と対峙し誘惑し、その温もりと冷たさ、傲慢さと謙虚さ、広大さと矮小さ、清廉と汚辱とを感じることができるのだ。

古今東西のあらゆる戯曲を読んでみよう、しかもその台詞もト書きもきちんと〈声に出して〉、できれば最後まで読んでみよう。
〈声〉を通して、戯曲に触れてみよう。

そんなシンプルなスタイルのワークショップを、わたしが主宰する読書コミュニティ「こすぎナイトキャンパス」のスピンオフ企画としてはじめたのは、まずは声に出して物語を読むということへの、単純な〈好奇心〉からである。

「はじめて触れる戯曲」。

そう、ワークショップの名前をつけた。

わたしたち日本人は、明治時代まで「音読」することが読書のスタイルだった。日常空間のあちこちでわたしたちは、〈声〉に出して物語を味わい、学問を修めてきたのである。
その伝統は、やがてモータリゼーションと近代都市化とによって失われたのである。だが失った「音読」は、密かに演劇人たちによって守られていった。まるで、ブラッドベリ『華氏四五一度』のなかで本を大事にしている人たちのように。
しかし、誰かが、その伝統を演劇人以外の人たちに取りもどす試みをしてもよいのではないか。

そしてわたしは、春のある夜、20名近くの人たちと、シェイクスピアロミオとジュリエット」を声に出して、はじめて読んでみたのである。
ロミオの台詞を担当する〈ロミオ組〉と、そして〈ジュリエット組〉に分かれて、シェイクスピア研究者である、河合祥一郎さん訳の「ロミオとジュリエット」を。

花の都のヴェローナ
 肩を並べる名門二つ、
 古き恨みが今またはじけ、
 町を巻き込み血染めの喧嘩。
》(河合祥一郎訳『新訳 ロミオとジュリエット』角川文庫)

この台詞を音で聴いたときの、ココロに泡立つ気持をどう表現したらいいだろうか。役者では人間たちによる、面映ゆさと気負いと少しの勇気が混じった台詞が、わたしの皮膚を粒立たせたのだ。

そのようにして、「はじめて触れる戯曲」ワークショップははじまった。これまで、いろんな方たちに参加いただいた。市民演劇経験者からわたしのような素人まで。高校生からシニアの方まで。武蔵小杉に関わりのある方もない方も。しかし、わたしたちは一編の戯曲を手にして〈その場〉に集ったのである。一期一会の時間をたしかに共有したのである。

ここまで3年。そして2018年の冬、Ashさんがラゾーナ川崎の劇場で「ロミオとジュリエット」を演出するという。
「オールカワサキ」という〈旗〉を立てて。
その旗の土台には、あの春の夜の「ロミオとジュリエット」があると、彼女は言ってくれた。わたしたちの〈声〉はその場で消えることなく、どこかにたしかに届いていたのだ。
あの春の夜、みなさんの〈声〉とともに、わたしがそこにいたことをうれしくそして誇らしく、いま思う。

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