慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

(アドベントブックレビュー2018)川端康成「片腕」

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アドベントブックレビュー第3回。

川端康成「片腕」、読了。
川端は、『古都』を大学のときに読んだくらいだったか。あらすじやらなんやらはすっかり忘れていて、ひらがなが多いなという印象しかない。
『雪国』は読んだはずだが同じく記憶に残っていないし、『伊豆の踊子』『眠れる美女』といった代表作にいたっては読んでもない。猪瀬直樹の『青春マガジン譜』は読んでいるけれど、大宅壮一のバイタリティにたいして、川端の人となりはいささか変態っぽいな、という、これまた第一印象以上のものはない。川端については、以上のようなないない尽くしである。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。
「ありがとう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。

奇妙な一文が唐突にはじまり、娘と主人公との関係は語られないままに話は進みはじめる。ねっとりした湿気に包まれたある夜、男はその若い娘から彼女の右腕を一晩借り受けて、自分のアパートに持ち帰り、一夜をすごすという話である。
男は娘から片腕を譲り受けると、いささか興奮しながらそれを外套のなかに隠して、もやの垂れこめた夜の町を歩いて自宅へ帰る。そんな「私」の耳に、近所の薬屋の奥から、ラジオの天気予報が聞こえてくる。

ただ今、旅客機が三機もやのために着陸出来なくて、飛行場の上を三十分も旋回しているとの放送だった。こういう夜は湿気で時計が狂うからと、ラジオはつづいて各家庭の注意をうながしていた。またこんな夜に時計のぜんまいをぎりぎりいっぱいに巻くと湿気で切れやすいと、ラジオは言っていた。私は旋回している飛行機の燈が見えるかと空を見あげたが見えなかった。空はありはしない。たれこめた湿気が耳にまではいって、たくさんのみみずが遠くに這うようなしめった音がしそうだ。ラジオはなおなにかの警告を聴取者に与えるかしらと、私は薬屋の前に立っていると、動物園のライオンや虎や豹などの猛獣が湿気を憤って吠える、それを聞かせるとのことで、動物のうなり声が地鳴りのようにひびいて来た。ラジオはそのあとで、こういう夜は、妊婦や厭世家などは、早く寝床へはいって静かに休んでいて下さいと言った。またこういう夜は、婦人は香水をじかに肌につけると匂いがしみこんで取れなくなりますと言った。

なんだなんだ、この不気味で不安をいざなう描写は。
産まれたばかりで愚図る息子をあやしながら眠たい目で読み進めていたぼくは、ちょっとびっくりした。これが筒井康隆の指摘する「シュール・レアリスム」つまりは「超現実主義」であり、まるで夢の中をのぞいているような独特の現実感、ということなのか。
自分のアパートに戻ってきた男は、娘の片腕と話しはじめ(片腕が会話をするのだ)、やがて自分の右腕と交換する(交換!)。そして一体化した娘の片腕とピロートークを交わしつつ、深い眠りに落ちていくのだが。

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さまざまな解釈を許しているこの作品、たしかに怪談といえば怪談であるが、所収のこの短編集では「恋愛怪談」と銘打っている。だが読後感は、恋愛というよりは、むしろエロに近い。最後の一文なんて、そりゃあもう。
若いときの自分が読んでいたら、どう感じただろうか。あんまり今と変わらない気もするけれど。

よく知られているだろうエピソードをひとつ。
日本SF大賞の創設時に、第一回の候補作がこの「片腕」だったようだが、資金集めの段階でつまずき、結局お流れになったということである。*1

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)


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*1:『SFアドベンチャー』1990年2月号 石川喬司日本SF大賞この十年」より。