慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

(アドベントブックレビュー2018)樋口一葉「大つごもり」

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先週、クリスマスをテーマにした短編をふたつ紹介したと思ったら、もう暮れのどんづまりである。

クリスマスがハッピーな彩りであるならば、大晦日はどうだったか。
借金があれば大晦日までにその返済の算段をし、新年の餅代に奔走するのが師走の日本の風景だった。

早くに父親と兄を亡くし、一家の大黒柱たらんことを求められた樋口奈津(一葉)も、金策に苦しむ日々を送っていた。
女流作家として、筆一本での自立を目指していた彼女だが、原稿が雑誌に載っても生活はいつも綱渡りだった。やがて彼女は一念発起して駄菓子屋に専念するが、店の経営はうまく運ばない。
生活苦にあえぎながら、その年(1894年、明治27年)の暮れを越すために書いたのが、短編「大つごもり」だった。そこで得た原稿料20円は、一葉自身と家族の年越しにあてがわれた。
 
山村家での辛い下女奉公をしているお峯は、やっともらえた休暇に、伯父の家へと立ち寄る。
伯父は病弱の身のうえで、高利貸しから借りた10円の返済期限が迫っているとお峯に告げる。お峯は、年越しの「おどり(期間延長のための金銭)」のために2円を払うことを伯父に訴えられ、つい引き受けてしまう。山村家に借金するつもりであった。

山村家では、折悪しく主家の総領である石之助が帰ってくる。放蕩息子の石之助と女主人とは仲が悪い。すっかり虫の居所が悪くなった女主人に、お峯は借金を願ってみたが、けんもほろろに断られる。
極まったお峯は、大晦日、山村家の引出しにある20円の札束から、2円を抜き取ってしまうのだった。

拝みまする神さま仏さま、私は悪人になりまする、成りたうは無けれど成らねば成りませぬ。

 
晦日には「大勘定(年末の総決算)」が控えている。勘定されれば、お峯が2円を盗んだことはたちまちバレてしまう。しかし、彼女の盗みは意外な人物からの救済によって露見せずに済むのだった。
 
この短編の最後は、いわゆるハッピーエンドだ。
しかし、そう単純に言い切れない暗さがまとわりつく。お峯の行動もその〈救済〉も、とどのつまりは一時凌ぎにすぎないからだと、読み手は諒解しているからだろう。

「大つごもり」は、現実生活において、生活と金銭との問題に直面した一葉がはじめて「生活とカネ」をテーマにして書いた小説だ。この作品を皮切りに、彼女は「奇跡の14ヶ月」(和田芳恵)と呼ばれる、充実した創作期を駆け抜けて、24歳で散っていくのである。
 

*

少し、暗くなってしまいましたか(笑)。

ですが、「カネか自由か」という古今東西変わらぬテーマは、起業を目指すぼくにとっても決して他人事ではありません。いまは「遠雷」ですが、必ずや身にふりかかってくるものです。

それゆえに「カネか自由か」ではなく、むしろ「カネも自由も」と大きく構えて、恐れるけれども怯まずに新しい年を迎えたいと思います。

今年一年、どうもお世話になりました!
よいお年をお迎え下さい。


○参考文献:日垣隆「一葉に見る『かねか自由か』」(産経新聞2004年12月18日付)