慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

横道「令和」考

元号「令和」の発表。
帰宅途中の銀座和光のショーウィンドウまえでは、みんなにこやかに撮影していた。外国人は物珍しそうに。
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ネットでは、YouTuberのHIKAKINも。30年前には〈YouTube〉なんてもの自体がなかった。
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「令和」の典拠は万葉集である。

万葉集』巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首(うたさんじゅうにしゅ)并(あわ)せて序(じょ)

引用文は、

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

書き下し文だと、

 初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ、梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす

現代語訳は、

 時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。(中西進著『万葉集』より)

「令」には次のような意味がある。

象形文字。神官が礼帽を目深に被り、跪いて神意を聴くかたち。神のお告げの意を表す。法令、布告の意となり、神意に従う意から、善い意となる。(新潮社編『新潮日本語漢字辞典』より)

新潮日本語漢字辞典

新潮日本語漢字辞典

白川静『文字講和Ⅰ』(平凡社ライブラリー)だと、白川先生はこう述べている。

人が頭を覆うて、かがんでいる形ですね、神意の命ずるところを、承る形です。

文字講話1 (平凡社ライブラリー)

文字講話1 (平凡社ライブラリー)

「令月」は陰暦2月の異称ということで、春の訪れの自然の声を聴かんと、静かにこうべを垂れて待っている月、というふうにもイメージできるが、これは個人的な勝手なこじつけ。でも当たらずといえども遠からずではないかしら。
その静かにこうべを垂れた人間に、風が春を告げにやってくる。その風に人は徐ろに顔を上げて、春の訪れを知ることになる。なんてな、俗っぽい解釈をしてみた。
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