慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【本】鶴見優子『オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方』を読んだ

鶴見優子『オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方』(セルバ出版)、読了。

オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

作者は言う、

いつの世も、人が”何か”をはじめるには、人の数だけ「理由」があるものだ。

トルストイの伝で言えば、その「理由」のかたちは人それぞれ違う。向上心、克己心、チャレンジスピリッツ・・・何かをはじめるタネもいろいろ。
作者の場合には「自尊心」だった。自意識といってもいいその厄介なシロモノが、彼女に巣くってから彼女の苦しみがはじまる。やがてそれは〈学歴コンプレックス〉へと成長して根雪のように彼女の意識へと横たわるようになる。

その意識を払拭しようと彼女が出会ったのが、「慶應通信」すなわち「慶應義塾大学通信通信教育課程」だった。宿願とも言える〈学歴コンプレックス〉克服の妙薬は、しかし最初の彼女には強すぎた。不合格レポートの量産、科目試験の不出来といった想定外の出来事が、彼女を苦しめ、やがて彼女はその〈妙薬〉から身を遠ざけるようになってしまう。

その〈妙薬〉に再び作者を近づけたのは、他者による〈軽蔑の眼差し〉だった。まるでマグネシウムが燃焼するときのように、彼女はその〈視線〉に激しく反応し反発し、再び慶應通信へと戻っていく。そこにはそれまで逃げ腰だった自分とはまったく違ったもうひとりの鶴見優子がいた。

数々の勉強を積み重ね、学友とのユーモラスな交流も重ねて、ようやく卒業試験にいたる。卒論のテーマは、日本の女性教育者たちである。棚橋絢子、三輪田眞佐子下田歌子、津田梅子。彼女たちは明治の〈男尊女卑〉の烈風のなかで、勁草のように日本の女性教育の先駆として活躍し、後進への道を切り拓いていった。
そして卒業試験が終わった後、自分が卒論執筆に使った資料を見ながら(それは彼女にとっての〈戦友〉だ)、彼女は不意に悟るのである。

「日本の女性が学問する道を切り拓いてくださり、ありがとうございました」
自分の母校の女子大の創設者にも同様に、感謝の意を持ったその瞬間、私は過去の私と和解した。

それは〈学歴コンプレックス〉を払拭したことを意味しているのではないとわたしは思う。それは過去の自分を受け容れたことなのではないか。
そしてその瞬間にこそ、わたしたち読み手もまた、彼女に祝福の両手を差し出したのではなかったか。