慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【誤読の旅人 #62】 2014衆院解散で、たまには政治の本とか読んでみました

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衆院解散、といっても、人生の些事に忙しい身にはなんのことやら整理がつかない。
そもそもなんでこの時期に解散しなきゃならんのか。
政(まつりごと)の世界はようわからん、とも言ってらんないのは解っているが。
ここ数日は、その政に関する本を読んでいこう(いったい、いつになったら起業の話をしはじめるのか)。

まずは、伊藤昌哉『自民党戦国史』(ちくま文庫)を読んでみる。この本を読むには、書かれた当時の国内政治の背景を知らないとよく解らないだろう。残念ながら、ここには読者にやさしい解説は書かれていない。

自民党戦国史〈上〉 (ちくま文庫)

自民党戦国史〈上〉 (ちくま文庫)

自民党戦国史〈下〉 (ちくま文庫)

自民党戦国史〈下〉 (ちくま文庫)

1970年代の日本の政治は、いわゆる「三角大福」の時代であった。「三角大福」とは、その時代に首相になった、各派閥の長の一字を組み合わせたものだ。
佐藤栄作のあと日本の首相は、
田中角栄(1972年7月-1974年12月)
↓ 
三木武夫(1974年12月-1976年12月)
↓ 
福田赳夫↓(1976年12月-1978年12月)

大平正芳(1978年12月-1980年6月)、といった順に誕生していった。そして80年代は鈴木善幸を経て、中曽根康弘の時代になっていく。

自民党戦国史』は、その「三角大福」闘争史である。
自民党の総裁がすなわち日本の総理とイコールであり(それはいまも変わりませんが)、自民党の各派閥はその座をめぐって、激しくしのぎを削っていた。彼らは目的のためなら、ためらうことなく合従連衡を繰り返し、権謀術数を巡らした。駆け引きは日常茶飯事であり、実弾(カネ)が容赦なく飛び交った。
政治は、与党対野党ではなく、与党内の派閥対派閥でおこなわれていたのである。

その当時、派閥でいちばん力を持っていたのは、田中軍団と呼ばれた、田中角栄率いる田中派であり、それに福田派、大平派とつづいた。
「民主主義は数の力である」といったのは、田中角栄だが、その言葉は彼が生きてきたリアルな政治の世界では生き延びるための当然の考え方であることがよく解り、政治の理念理想などはその前にまったく意味をなさなかった。

著者の伊藤昌哉は、池田勇人首相の首席秘書官を務め、大平を首相にするために相談役として彼をサポートした。いわば「中の人」である。
大平と彼にとってはまわりは皆敵であり、一寸たりとも油断はならなかった。ときに伊藤にとって、当の大平すらままならぬこともあった。
読みながら、「なんで作者はこんな大平にこんな思いまでして肩入れしなきゃならないんだろう」と正直思ったこともあるくらいだ。それなのに、伊藤は大平を首相にするべく、身体が弱いにもかかわらず、永田町を奔走するのである。

伊藤は金光教の熱心な信者で、節目節目で金光教にお伺いを立てる。要するに、政治の動きを八卦見しているのである。読み手にとっては、政治家の生々しい言動にもびっくりするが(とくに、ロッキード事件で逮捕されながらも、田中角栄の今太閤ぶりには唖然とする)、八卦見する自分を平然と描写する著者にも驚く。良い悪いは別として、政治は理窟ではないことがよく解るのである。

人間くさいといえば、あまりに人間くさい世界があちこちに展開する。それゆえに、この本は読み手を選ぶだろう。ぼくも、この本のスタイルに最後まで馴染めなかったのは確かだ。
しかしぼくの鼻面を引っ張ってページをめくらせていったのは、永田町に生息する一隅の政治家たちの業のようなものであった。
著者もまたその業から距離を置こうとしてけっきょくできなかった。
読み終えて、彼らの言動に、ある種の面白さを感じてしまっている自分に気づいて、これまた唖然としたのである。