慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

かさこ塾は「ルイーダの酒場」

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普段なら一晩置いておくが、今回は酔いに任せて、勢いで書く。自分のこともさておく。

今夜は、かさこ塾(「好きを仕事にする」ブログ術&セルフブランディング術実践編)2期生の打ち上げ@後楽園。
平日の忙しいなかにも関わらず、8名が集まって、大いに歓談し飲んだ。売り出し真っ最中の塾アイドルキャラクタ「れおにゃ」も参戦、アメリカ料理(?)をたらふく食べて満足げだった。

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かさこ塾(2期)が終わってから数週間。塾頭からの、永遠ともいえる(涙)「毎日ブログを書き続けなさい」という指令に、この1ヶ月必死に食らいついている人たちの面構えが頼もしい。そして、それだけことをやってる連中の話は、やっぱり面白い。
なんか、みんな自信つけてきてますよね。

後楽園駅に来るまでに、岡田斗司夫プチクリ』をちょうど読み終わって(後日感想を書きます)、なんだこれ、塾頭と同じこと言ってる! いやこの本が先に出たのだから・・・くわばらくわばら(笑)。

プチクリ!―好き=才能!

プチクリ!―好き=才能!

そのなかで、「毎日続けること」という文脈で引用されていた、スティーブン・キングのエッセイの一節(「才能について」)が引っかかったので、孫引きしておく。

才能というのは、研いでないナイフのようなものだ。
毎日、ただ毎日書き続ければ、そのナイフを研ぐことができる。

人によってナイフの大きさは違う。
しかし研いでみないことには、そのナイフがどんな形なのかわからない。
小さくてよく切れるナイフなのか。巨大で岩もまっぷたつに切り裂く大ぶりの刀なのか。
才能のある・ないというのは単にこのナイフのサイズのことだ。
大きな刀なら歴史的な大作が書けるだろう。でも小さなナイフでも、本を買ってくれる人を一晩夢中にさせる程度の作品を書くには充分だ。

だから本当のナイフのサイズが問題じゃない。
それが本当にナイフか、つまり「研がれているか」どうかが問題なのだ。
だから大事なことは、ナイフを研ぐこと。毎日書くことである。

ぼくは、かさこ塾に入ってから、ここが「ルイーダの酒場」になったらいいなあといまでも思っている。
ルイーダの酒場というのは、ゲーム好きならご存知だろうが、「ドラゴンクエスト」で登場する「ゲーム中のパーティ仲間を探す場所」あるいは「冒険活動の拠点」のことである(ちなみに、仲間がバシルーラという魔法で敵に飛ばされても、自動的ににルイーダの酒場に戻る)。

要するに、自分にとっての「仲間探し」の場である。
ただここでぼくが肝に銘じていたのは、ぼくが探すべきは「仲間」であって「友だち」ではないこと。お互いの目的のために、お互いを信頼し尊重して行動すること。
かさこ塾が、自分にとってそういう場所になったらいいなあと思っている。

そして、今夜、キングのエッセイを読みながら、「ナイフを研ぎ続ける場所」にしていけたら! とも感じた。
そしてその緊張感がなければ、今夜こうして楽しんでいる同期会は、たとえば1年後どうなっているだろうか。

ぼくに「友だち」は要らない、「仲間」が欲しいだけだ。