慶應鶏肋録

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【刺さる読書008】岡田哲『明治洋食事始め とんかつの誕生』を読んで知った、とんかつは単なるマネではない

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岡田哲『明治洋食事始め とんかつの誕生』(講談社学術文庫)読了。

明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)

明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)

とんかつ自体の話というよりは、明治維新からこっち、日本人がどのように西洋料理を日本食としてローカライズしてきたのかについて詳しく書かれている。日本の食文化、とりわけ「洋食文化」の変遷史と言ったほうがいいかもしれない。
登場するのはとんかつだけではない。あんパン、コロッケ、ライスカレーなど、いまや日本の食卓で馴染みのあるものばかり。本書中盤までは明治維新がいかに「料理維新」であったかが語られる。

天武天皇が675年に出した肉食禁止令以来、じつに1200年間も日本人は一部の例外を除いて肉というものを口にしなかった(江戸時代には「薬喰い」といって、肉料理があったようである)。
それが変わるのは、近代化を余儀なくされた幕末から明治のことだった。政府は西洋の肉食文化を輸入することで、日本人の体位の向上と体力的な劣等感の払拭を目指した。
まずは明治天皇自ら肉を食するというデモンストレーションしてみせた(朝には牛乳も飲んだという)。

とはいえ、庶民にはまだまだ肉食は遠い存在でしかなかった。穢れるだの血が汚れるだのというまことしやかな噂が広まっていった。
それでもお上からの奨励もあって、肉食はだんだんと人びとのなかに浸透していく。人びとは馴れない洋食を米飯にあうようにローカライズしていったのである。
牛鍋(すき焼き)、あんパン、ライスカレー、コロッケといった現在の日本の洋食の原型がこの時期に生まれていくのだが、そこにいたるのは簡単ではなかった。

肉食解禁から60年という試行錯誤の時間を要して、ようやく「とんかつ」が登場する。
パン粉で厚切りの豚肉を油で揚げる調理法、生キャベツの千切りを付け合わせにする工夫、ウスターソースの組み合わせは、欧米のカツレツにはない、日本人ならではの斬新な工夫であった。

栄養の豊富な洋食が取り入れられていくことで、明治時代と比べて、日本人の体位の向上もずいぶんよくなった。「料理維新」は、その後の日本の食卓を大きく変えたのである。