慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【刺さる読書007】堀越二郎『零戦』の主人公に見てとった、<好きなこと>の究極のかたち

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堀越二郎零戦 その誕生と栄光の記録』(角川文庫)読了。
宮崎駿監督作品「風立ちぬ」のモデルとなった零戦設計主任による、零戦開発エピソードである。初版は戦後20数年して書かれている。

ぼくはミリタリの趣味はないが、堀越二郎という名前だけは知っていた。三菱重工に勤務し、「零戦」-正式名称は「零式艦上戦闘機」-の設計主任を務めた。
彼は零戦だけでなく、九六式艦上戦闘機局地戦闘機雷電」、十七試艦上戦闘機「烈風」など、日本海軍が誇る名機の数々の設計にもたずさわっていた。

昭和12年(1937)秋、海軍から新型戦闘機開発依頼が三菱重工に届くところから、この話ははじまる。
海軍の要望は、一言で言えば横紙破りである。ムチャな仕様だ。
相反する要求を並べてすべて実現せよという。その要求水準のあまりの高さに一度は水準引き下げのお願いをする堀越らだったが、海軍は首を縦に振らない。
そこから堀越ら設計技師たちの「戦い」がはじまるのである。

いわば昭和の「プロジェクトX」が展開していくわけだが、なにより、この話、相当面白いのである。その道の泰斗が書いたものは、えてして退屈というのが相場だが、この本は違う。とにかくページをめくらせる。ある晩酔っ払って、読みかけていたこの本をどっかになくしてしまったときには、ほんとにがっかりした。
堀越の文章がいい。設計の呻吟葛藤などの心理描写について、相当な苦労があったはずだと思うのだが、堀越の筆致はあくまで淡泊で平明である。そして達意である。それゆえある種の凄みも感じさせてしまう。一流の技術者はこういう文章も書けてしまうのかと、驚いた。まあ、戦後20数年も経てば達観できるのだろうとはいえるものの。

零戦は、海軍からの依頼(要求)があって製作されることになるのだが、読みながら、これはちょっと違うのではないかと思った。
ほんとうは、もともと堀越自身がつくりたかったものを、海軍の要求に乗っかってつくりあげたのではないか。
その根拠めいたものを、ぼくは次の一言に感じ取ってしまう。

私はその空気の振動を全身に快く感じながら、首の痛くなるのも忘れて空を仰いでいた。試作機は、やっと自由な飛行が許された若鳥のように、歓喜の声を上げながら、奔放に、大胆に飛行をくりかえした。ぴんと張りつめた翼は、空気を鋭く引き裂き、反転するたびにキラリキラリと陽光を反射した。
私は一瞬、自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて、
「美しい!」
と、咽喉の底で叫んでいた。

設計者は芸術家ではない。現実の厳しい要求をクリアして製品を完成させるのが当然の仕事である。それを経てなお、「美しい!」と叫ばずにはいられないとは至福であろう。

零戦は実戦投入後、つぎつぎと戦果を得ていく。設計者冥利に尽きるのではあるが、太平洋戦争で日本が劣勢に立たされていくにつれて、零戦といえど思うような活躍ができなくなっていった。
特攻隊にも零戦は使われた。
アメリカの圧倒的な物量と新型戦闘機の矢継ぎ早の投入のなかで、まさに孤軍奮闘し散っていくその姿は痛々しいを通り越して、無力感さえ漂う。その姿を堀越はどう感じていたのだろうか。