慶應鶏肋録

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【刺さる読書#029】本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』を読んで、「社会の木鐸」という言葉はまだ生きているのだろうかと遠い目に

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本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』(Kindle版)を読了。
一読、なんでもっと早く読まなかったのかと悔いた。そのくらいに面白かった。

我、拗ね者として生涯を閉ず(上) (講談社文庫)

我、拗ね者として生涯を閉ず(上) (講談社文庫)

我、拗ね者として生涯を閉ず(下) (講談社文庫)

我、拗ね者として生涯を閉ず(下) (講談社文庫)

『誘拐』『不当逮捕』など、優れた作品をいくつも書いた本田は、じつは「ノンフィクション作家」という肩書きで呼ばれることをあまり好まなかった。

私の肩書きはノンフィクション作家ということになっている。いくつかのノンフィクション作品を手掛けているうちにそうなってしまったのだが、実を言うと本人はこの呼称をあまり気に入っていない。(中略)ご存知かと思うが、かつて私は新聞社の社会部記者であった。本人としては新聞社を辞めて長い年月が経たいまも、変りなく社会部記者をやっているつもりである。しかし、組織を離れた私がその呼称で通そうとしても、世間的には通用しない--

本田は、元読売新聞社会部記者である。彼は終生その呼び名に執着した。
本書は、新聞記者として「東の本田、西の黒田」と謳われた敏腕記者の、いわば青春記である。
そして彼を通して浮かびあがってくるのは、彼が所属した読売新聞社会部の自由闊達さであり、本田はそれを「社会部が社会部であった時代」といって愛おしんだ。

前半の、長じるまでの青春期も愉快だが、なんといっても読み応えのあるのは、「『黄色い血追放』キャンペーン」だろう。本田はこのキャンペーンに足掛け5年にわたり取り組んだ。これに着手した当時、本田はまだ入社7年目だった。

1960年代半ば、輸血用の血液は「売血」でまかなわれていた。現在では献血が当たり前の人間の血は、文字通り売買の対象となっていたのである。
医療用の輸血は「日本ブラッドバンク」(のちの「ミドリ十字」。80年代には非加熱血液凝固因子製剤の使用により、薬害エイズ事件を引き起こした)などの民間業者、いわゆる血液銀行に90%以上依存していた。
これら業者に、1本(200cc)数百円で血を売りに来るのは、主に山谷などドヤ街で暮らす貧しい日雇い労働者だった。業者の側も採血規則を遵守することはなく、結果として大量の売血常習者が生み出された。

この売買される血液は「黄色い血」と呼ばれた。
ひんぱんに採血をつづけることによって、骨髄のなかで行なわれる赤血球の製造が追いつかなくなり、血液は赤みを失って黄色っぽくなる。この血液のことを、日赤の村上医博は「黄色い血」と命名した。当時の山谷では、過剰採血により倒れる売血者が続出していたという。

一方で売血は、輸血を受ける側にも深刻な問題をもたらした。被輸血者の約5人に1人の確率で、「血清肝炎」患者が出たのである。
にもかかわらず当時の厚生省は、「宗教的基盤のない日本で献血は根付かない」との理由で献血への切り替えに腰が重かった。また医学界でも、当時医者の多くが売血業者からリベートを受け取っていた事情から、献血議論がいっこうに盛り上がらず、結果として国際的な(侮蔑に近い)非難を浴びながらも、日本における売血は野放し状態であった。

その現状を知った本田が、輸血用血液の供給を献血に切り替えて売血をなくそうと、読売新聞紙上に張った論陣が『「黄色い血」キャンペーン』である。
本田は少ない味方とともに、「社会の公器」たる新聞を使って、キャンペーンの連載をつづけた。躊躇する日赤の尻を叩き、動かぬ厚生省、傲岸な大蔵省を脅して献血車の予算を取り付け、現在では当たり前となった献血の道を文字通りの意味で切り開いていく。
はたしてこのキャンペーンは成功であった。開始から2年足らずで約50%の血液供給をするまでに達し、とうとう1979年には保存血液の売血は完全に消滅したのである。

本田は、このキャンペーンの話を書く際に、「わたしは自慢話をしている」とあえて言った。その本意は、「善意と無限の可能性を信じる集団」だった「社会部が社会部であった時代」のことを記憶にとどめてほしかったからに違いない。このキャンペーンは、そこから生まれたのである。

しかしやがて、社会部の良き時代はすたれはじめていく。そしてそれを嘆いた本田はフリーランスの道に入っていくのだが、悔しいことにその話の佳境でふいに、この連載は終わってしまう。
本田はこの連載を、糖尿病による両足切断、失明の危機、肝臓がんなどの大病と闘うなかで必死につづけた。晩年を蝕んだ肝臓がんも、黄色い血キャンペーンの取材のために実際に売血をしたときに感染したウィルスが原因だという。身体を張った取材というには、あまりに過酷な結末であった。
それでも本田の筆致は、悲惨さを感じさせない、あっけらからんとしたものだ。ときにユーモアさえ感じられるくらいだ。
ほんと、続きが読みたかったんだよなあ。