慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

神宮の夜に、「本」をめぐる思いのいくつかに触れたことについて、歩きながら感じたこと

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昨夜は、東京藝術学舎での「続・いつか自分だけの本屋を持つのもいい」講義に出席。山崎亮さんの「『ふるさと』という最前線」の初回講義以来になる。ちなみに山崎さんの講義はまだ続いている。

初回テーマは、「ブックディレクタは本のキュレータ? スタイリスト? DJ?」と題して、

美術館がキュレータの晴れ舞台であるように。ファッション撮影でスタイリストが活躍するように。クラブにDJが必要なように。
わくわくする本棚を仕掛けてくれる彼ら=ブックディレクタがいる!

ということで、BACH主宰でブックディレクタの幅允孝さんと、ブックコーディネータかつビールが呑める、下北沢の書店「B&B」の内沼晋太郎さんを講師に迎え、MCは「BRUTUS」元編集長の鈴木芳雄さんでの鼎談となった。

  • 「BACH」

http://www.bach-inc.com/concept.html

http://www.bach-inc.com/concept.html

今年はじめに読んだ、内沼さんの『本の逆襲』がとてもポジティヴな読後感だったのと、ついさいきんプレオープンした、横浜の大型シェアスペース「BUKATSUDO」にも興味があったので、いつかお話しを聞いてみたいと思っていた。

本の逆襲: 10 (アイデアインク)

本の逆襲: 10 (アイデアインク)

  • BUKATSUDO(ぶかつどう)

http://www.bukatsu-do.jp/

幅さんは分譲マンション内のライブラリのお仕事もされていて、マンションコミュニティの観点からもそのお仕事ぶりに興味があった。
http://www.bach-inc.com/works/libraries/cosmos.html

講義自体は、おふたりの自己紹介からはじまり、新刊書店の立ち上げなどについての実体験からの話、自分たちの仕事である「選書」の仕方、といった構成。
とくに新刊書店の立ち上げに関するお話しは、とにかく面白くてためになるものの、ここには書けないことも多くて、これは大丈夫そうかなというところだけ、あとでランダムに紹介します。

結果的には幅さんが多くしゃべったけれど、ぼくは彼の仕事ぶりというか人柄、考え方にとても惹かれることになった。
また、おふたりの仕事ぶりから(それはコンセプトから仕事の細部への配慮にいたるまで)、「とにかく本と人との出会いを、ひとつでも多くつくる」という強烈な使命感みたいなものに敬服した。
幅さんが手がけたという「大きな風立ちぬ」は、欲しかったなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=f-xr8-mqbh0

この講義までの地下鉄のなかで、ぼくは山口瞳『男性自身 私の根本思想』(新潮社)を読んでいた。1986年の刊行なので、もう30年ほどまえだ。

私の根本思想 (男性自身シリーズ)

私の根本思想 (男性自身シリーズ)

山口は表題作で、作家・故中野孝次の呼びかけた核戦争反対の表明に参加しなかったと、書き出している。

核保持については、私はこれに反対する。しかし、それ以前に、軍隊(人殺し集団)というものがあるかぎり、行きつくところまで行ってしまうはずだと考えている。根本を亡ぼさないかぎり悪は亡びない。そう思って中野さんの呼びかけには応じなかった。
私は争いごとが嫌いだ。嫌いというより苦手なのかもしれない。会社員同士の争い、町内のゴタゴタ、兄弟喧嘩、すべて駄目であって逃げ腰になってしまう。従って、戦争なんかとんでもない話であってマッピラゴメンだ。核兵器を使用するか使用しないかなんて段じゃない。

このエッセイは、つまりは戦争全般にたいする「わたしの根本思想」の表明なのだが、自分の徴兵体験や終戦直後の人びとの意識の混乱をつづりつつ、「わたしの女々しい男になった」と言って、こんな男(作者)の言うことなんか誰もきかないだろうがと、最後はこう締める。

人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯未練の理想主義者である。
私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったということで充分ではないか。
(中略)
どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう(非武装の:引用者註)国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える。私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。

なんとも強固で徹底した反戦主義なのだが、さて当時の自民党中曽根内閣のもとで、ずいぶんな勇気が要ったのではないか(でも、じつ中曽根内閣は後藤田正晴という「反戦主義者」が重しとなっていた)。
書き手としての真摯さと勇気とが伺える一文だ。

さて、その「男性自身」のまえ、家を出るまではこの記事の直前で少しだけ紹介した(紹介というほどでもないけど)、夏葉社の島田潤一郎『あしたから出版社』(晶文社)を読み、ややセンチメンタリズムに流されている筆致ながらも、自分に誠実であろうとするその姿勢に、ずっと読み入っていた。
たまたま手にしたのだが、ラゾーナ川崎丸善書店では、こんなフリーペーパーも用意されていて、書店員さんからの愛されている編集者であり、出版社なんだと、一読して感じた。

あしたから出版社 (就職しないで生きるには21)

あしたから出版社 (就職しないで生きるには21)

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長くなったけれど、さて、ぼくはこの一文でなにを言いたかったのか。
藝術学舎での講義では「本と人びととの出会いをつくる人たち」のたくましさと謙虚さ、
山口瞳のエッセイでは書き手としての真摯さと覚悟、
島田潤一郎の本では「編集し出版すること」への誠実さ、
みたいなものを、その日感じることができたんだ、ということを言いたかった。

ほくは、本を読んだ感想をこのブログに気ままにアップしているけれど、「本」に関わるひとたちのそういう思いというか姿勢を、どこかで感じつづけながら、これからも「本」を読んでいきたいと思う。

ただ、それだけを書き残しておきたかった。そういう夜があったことを。