人魚夜郎どもと、「鉄道唱歌」を歌いながら、「ちかく旅」をしてみることにしました。
鉄道唱歌は、1900年(明治33年)つくられ、全6集、374番からなります。第1集は「東海道編」で、神戸駅まで歌詞がつくられました(東海道本線が神戸駅まで全通したのは、1889年(明治22年)のこと)。
歌はこんな感じです。
鉄道唱歌の旅 東海道編 - YouTube
耳にされた方も多いのではないでしょうか。
第1番は、新橋駅からです。
汽笛一声新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
駅名看板は、東海道線のホーム。
日比谷口から、SL広場に降りてみました。
SLのC11 292が静態保存されています。「汽笛一声」とありますが、ぼくは聞いたことはありません。
振り返りますと、2010年からはじまった駅施設のリニューアルが着々とすすんでますね。
日比谷口の反対、銀座口にまわって、「旧新橋停車場」へ向かいました。
http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
なにやら展示会がと思ったら、休館です。がくっ。ぼくの後から急いで来られたサラリーマンの方は汗を垂らしつつ、その場に崩れ落ちてました。
気を取り直して、歌詞にでてくる、愛宕山まで歩いてみましょう。
新橋駅から浜松町方面へと向かい、新橋三丁目あたりで、虎ノ門方面を見てみました。
向かって左に折れて、慈恵医大を突っ切ると、愛宕山付近です。ここまで、9キロの息子を背負って、炎天下のなか15分くらい。
愛宕山は、天然の山としては東京23区内最高峰だそうです。標高は26メートル。
有名な男坂を避けて、「愛宕山エレベータ」に乗ってしまいました。
愛宕神社を訪れてみます。
曲垣平九郎の「出世の石段」の顔ハメ看板がありました。中途半端な位置取りです。
現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。
これは、江戸時代の1634年2月25日(寛永11年1月28日)、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている。(ウィキペディアより)
朱塗りの門をくぐって、お参りしました。
ちなみに、神社のHPにはバーチャル参拝が用意されてます。
http://www.atago-jinja.com/virtual/
参拝を終えて、社務所のそばを抜けると、池があります。おおっ、人魚のいとこたちがウヨウヨおりました。
愛宕山の頂上の涼風にしばし身体を休めます。息子はいつの間にか寝入っていました。
さて一気に日比谷線神谷町駅方面にくだりますが、なんとも急勾配な階段です。途中上られていくご婦人にご挨拶されました。お疲れ様です。
「都心のなかのオアシス」に、つかの間、ひたっておりました。
ちなみに、新橋名物を探しましたが、「肉めし」というのが有名らしいのですね。
まとめ記事がありました。
http://matome.naver.jp/odai/2138384081019613601