慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

鉄道唱歌でちかく旅(#2 泉岳寺駅) ~エレカシの宮本浩次さんの母校を素通りしちゃいましたけど

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人魚夜郎たちと行く、「鉄道唱歌」の旅。
第2番は、泉岳寺駅です。

右は高輪(たかなわ)泉岳寺
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載(せんざい)の後(のち)までも

写真は泉岳寺方面の出口。向かって右側は第一京浜で、これを手前に下っていけば品川駅にたどり着きます。
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泉岳寺自体は、上記出口の向かって左側へ坂をあがります。中門をくぐると、お土産屋さんが数軒軒を連ねていました。
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ちなみに、泉岳寺のすぐ脇には私立高輪高校があり、ここはエレカシ宮本浩次さんの母校。さらにいうと、泉岳寺の裏手にあるのは、東海大学付属の高輪台高校であります。

閑話休題
山門の手前には、大石内蔵助良雄の像が。
あ、どうも。
「昼行灯」と呼ばれただけあって、さらりと着流しがお似合いです。
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山門をくぐって、本堂を見ると、「獅子吼」と掲げてありました。「獅子吼」というのは、もともとは獅子がほえることを意味してますが、翻ってお釈迦様の説法のことをいいます。
関係ないですが、本堂前では男女の外人さんが「ロッポンギロッポンギ」と言い合いながら地図を広げてました。
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さて、義士の墓所へと向かいましょう。
泉岳寺には義士だけでなく、浅野内匠頭とその奥方様も眠っていますが、それはこの寺が浅野家の菩提寺だったからなんですね。
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墓所までの途中までに、有名な「血染めの梅、血染めの石」、「首洗いの井戸」が脇にあります。

「血染めの梅、血染めの石」は、浅野内匠頭が田村邸で切腹したときに、その血しぶきがかかったと伝えられている梅の木と石。持ってきたんですかね。
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「首洗いの井戸」は、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗って、浅野内匠頭の墓前に備えたところからその名前がつきました。
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さてさて、炎天下なので先を急ぎます。
義士たちの墓所です。線香を手向けました。汗がしたたり落ちてきます。
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一通り済んで、帰り際には「水琴窟」の音色を楽しみました。
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墓所の脇には、赤穂義士記念館があります。写真は入り口手前にある、本懐後の義士引き揚げ行列をモチーフとした小さな池です。
討ち入り時間は諸説ありますが、寅の上刻ですから、いまでいう午前3時台なんでしょうか。終わったのが午前5時あたり。
一行は本所の吉良上野介の屋敷から約3時間かけて高輪の泉岳寺に到着しました。
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記念館では、松の廊下の再現CGなどを見て廻りました。
出口を抜けると、まだまだ空は明るい。帰りは第一京浜から下って、品川駅へと向かいました。
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