慶應鶏肋録

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【刺さる読書 #36】獅子文六『コーヒーと恋愛』で感じる、昭和時代のおおらかさ

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獅子文六『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫)、読了。この本を買ったのは紀伊國屋だったと思うが、あちこちの書店で「今年一番の小説」云々とイチオシだ。

もともとは「可否道」というタイトルで読売新聞に連載され、1968年に単行本化された。今回文庫として復刊されたのを機に「コーヒーと恋愛」と改題。

昭和時代、テレビが登場してからまだそんなに経っていないころ。
連続テレビドラマ「表通り裏通り」に出演する女優・坂井モエ子は、43歳という年齢でかつ脇役ながらお茶の間では人気を博していた。
新劇出身でいまではすっかりテレビの仕事が多くなり、収入もそれなりにある。スポンサーにも気に入られて、さいきんはあこがれていた洋行の援助話もでているくらい。

彼女には、8歳年下の演劇脚本家・塔之本勉という夫がいる。
妻は大衆を象徴するテレビの人気女優、かたや夫は老舗劇団の座付き作家。歳も大きく離れている。収入も大きく違う。
エンターテイメント世界の住人と芸術性の強い世界の住人とは、世間からすると一見うまくいかないようでいて、しかし彼らはコーヒーでつながっている。
モエ子はコーヒーを淹れるのが得意だ。コーヒー好き同士で集う「可否会」に所属している。そこのリーダー・管(すが)はモエ子のコーヒーにたいする力量を認めており、ゆくゆくは会の後継にと思っている。もちろん、モエ子にほのかな恋心も抱いている。

勉はコーヒーを味わう(批評する)のが得意。機嫌が悪い朝でも、いつもモエ子のコーヒーを心待ちにしている。
コーヒーを間において、絶妙なバランスがとれた夫婦だった・・・はずだったが。

ある朝、モエ子が普段通りに淹れたはずのコーヒーに、勉が「まずい!」と反応した。
そして勉がその理由を「君は丹野アンナのことを考えて」いてコーヒーをつくっているからだと指摘したことから、物語ががくんと動く。

丹野アンナは、勉の劇団の若手女優でさいきん売り出し中。なかなか”天然キャラ”なこの女優は、しかし、モエ子とはどうにもそりが合わない。イライラさせられるのは、モエ子のほう。

アンナは積極的に勉にアタック、勉は「生活革命をするんだ」と宣言して、とうとうアンナのもとに去る。
パニックになったモエ子は、管に相談に行くが、メンバはかえって好機到来と管とモエ子をくっつける算段に走る。

勉に愛想を尽かしたモエ子だが、さりとて管にもいまひとつ乗り気ではない。
うまく行かないのはプライベートだけでなく、はじめての主演ドラマが意外にも不評で、それもモエ子のモヤモヤの種になっていた。すると今度はアンナのところから勉が戻ってきて、よりを戻そうという・・・。
男どもの身勝手と、コマーシャリズムに染まったテレビ。八方ふさがりのモエ子がとった行動とは。

獅子文六は『大番』とか『箱根山』だったかを読んだ記憶があるが、こんな軽妙な恋愛小説を書いていたとは知らなかった。
恋愛小説というと、当代いささかの鬱陶しさを帯びたものも多いが、この本のストーリィはシンプル。読点が多用される文体は、軽妙さと余裕をたずさえて読みやすくなっている。
なにより、明るさがある作品だ。恋愛小説でもあり、ユーモア小説でもある。獅子文六古稀の作品だというから、年齢からくる達観ぶりもあるだろう(連載当時、本人は体調思わしくなく、「もうコーヒー小説はコリた」と述懐している)。
夏の昼下がりに、アイスコーヒー片手に読むのも悪くない。

解説は、ソングライターの曽我部恵一。古本屋でこの本を見つけて(1969年発行の角川文庫版だろう)、同じタイトルの曲をつくったという。