以前、こんな記事を書いた。
あなたにいまほんとうに必要なのは、答えを求めることではなく、問いをつくることです - spectrum life
それにリンクする話を、昨日読んだ加藤秀俊『独学のすすめ』(ちくま文庫)で見つけた。
- 作者: 加藤秀俊
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/11/10
- メディア: 文庫
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しかし、「問題」は、つねに先生だの、問題集だの、ドリルだのといったふうに外的にあたえられるものだ、とかんがえてしまうのも、人間の精神にとってけっして健全なことではあるまい、とわたしは思う。なぜなら、「問題」とは、ほんとうはそれぞれの個人が発見し、そしてつくる性質のものだからである。
(中略)
じっさい、哲学者のJ・デューイは「問題解決(problem solving)」というかんがえかたを教育のなかに導入した人物として知られているけれども、かれは、「問題解決」よりも「問題つくり(problem making)」のほうが、ずっとだいじだ、という主張をしている。
つまりじぶんで、なにが「問題」なのか、その「問題」点をはっきりさせると、いったいどういうことになるのか、をかんがえることがおこなわれ、それにつづいて、さてそれではその「問題」は、どのように「解決」できるかかんがえられなければならないというのである。
つまり、「問題」というものは、それぞれの人間がつくるべくものなのである。テレビはなぜみえるんだろう、とかんがえた子どもは、そのとき、みごとにひとつの「問題」をじぶんでつくったのだ。(「『問題』とは何か」より。引用者適宜改行)
「問いを立てる」こと、つまりは「問題つくり」こそが、自分の思考を際立たせてくれるのである。それはぼくがさいきん言っている「抽象的に考えること」にもつながるようなのだが、ここでその話にいくのは勇み足。またゆっくりと考えてみたい。