慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

勉強すべき語学は〈back to the basic〉で考える

5時起床。今日も放送英語リーディングをやっております。今週でいったん片付けることを目標にしている。

今日は気温が下がったけれど、だんだん春めいてくると身体や気持がウズウズしてきて、アレもやりたいコレもやりたいという気分になってくる。
春あるある、ですね。

そのうちのひとつが「新しく語学を勉強したい」。
中国語、スペイン語とメジャな語学に目配せしてきたのも今は昔、さいきんはすっかり語学欲は也を潜めていた。
それがまたムクムクとアタマをもたげてきて、ついさいきんまではロシア語を習おうかと思っていたくらい。
ロシアはわたしにとって、興味をそそる国なのだ。
このDVDも購入したし。

オリバー・ストーン オン プーチン [DVD]

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慶應通信でもⅢ年時配本では「ロシアの政治」という科目があったりして、早めにテキストも用意しちゃったりしているし、なーんか気になる国なのである。

と一度は思ったものの、この本を読んでよくよく考えてみると、やはり英語! というところに落ち着きそう。

ハーバード・ジュリアードを 首席卒業した私の 「超・独学術」

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なんのために語学をやるのか。慶應通信を卒業したら、大学院を視野に入れているので、とすれば英語はできたほうがいいこともあるし。
なんというか、〈back to the basic〉で考えたほうがいいと思ったのはたしか。いままでのわたしならロシア語を即座に選択し、そして数週間後には放ってしまっていただろう。それが少しは冷静な判断ができているということで、これも慶應通信のお陰でもある。
ただし、スクーリングは大変なので、NHKあたりから少しずつというところでしょうか。あるいは泳げないけど海に突き落とされてみるか。
新しく何かをはじめるって、ウキウキしますねん。f:id:zocalo:20190314225742j:plain

【西洋外交史】科目試験対策スタート

5時起床。

帰宅してからは、子どもたちとファミスタ対戦かと思ったら、彼らだけで楽しんでいた。おれのファミスタなのに。。。

[放送英語リーディング]は、今日はいったん中断。[かわりに西洋外交史]を加速させた。分量があるのでどこかでドライブかけないといけないな。10日くらいで終わらせる予定。
ブログも短めになっていく。
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【本】池澤夏樹『春を恨んだりはしない』

池澤夏樹『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(中公文庫)のタイトルを一瞥して、なんと厳しい言葉かと思った記憶がある。 震災後のわずか半年後に、思索エッセイとはいえこの表題を世に出すのにはそれ相応の勇気と準備が必要だったろう。

あれから、8年。復興に関していえば、著者はこう書いていた。

震災と津波はただただ無差別の受難でしかない。その負担をいかに広く薄く公平に分配するか、それを実行するのが生き残った者の責務である。亡くなった人たちを中心に据えて考えれば、我々がたまたま生き残った者でしかないことは明らかだ。 <<

この本のタイトルは、震災以来ずっと著者の頭のなかに響いている、ある詩の一行なのだという。 ヴィスワヴァ・シンボルスカポーランドの詩人で随筆家、翻訳家でもある。1996年ノーベル文学賞受賞したが、2012年2月1日に亡くなった。 タイトルは、その詩人の「眺めと別れ」という詩の最初の部分である。

またやって来たからといって  春を恨んだりはしない 例年のように自分の義務を 果たしているからといって 春を責めたりはしない わかっている わたしがいくら悲しくても そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと(後略) <<

この作品は、彼女が夫を亡くしたあとに書かれたものだという。

震災後、何人かの作家が震災をテーマにして作品を書いてきた。 池澤もそのひとりで、一昨年『双頭の船』(新潮社)、去年は『アトミック・ボックス』(毎日新聞社)とつづけて上梓しているが、その流れの発端にはこの本がある。

双頭の船 (新潮文庫)

双頭の船 (新潮文庫)

彼には『楽しい終末』(中公文庫)という20年以上まえの評論集があって、そのなかで核や原発についても章をいくつか割いて論じているが、それはあくまでも評論という形で閉じてしまっていた。

楽しい終末 (中公文庫)

楽しい終末 (中公文庫)

そこでは、彼自身うまく結論づけることはできなかった。 その果たされない思いが、小説という形に具体的になったのは、東日本大震災が直接的なきっかけだろうが、小説をものとするまえに、まず彼は事象を整理した。 多くの人たちとの、出会いと対話とたくさんの涙とともに、起きたことを自分の言葉で腑分けしてファイルに収めていった。これが本書である。 その作業でも整理のつかないものたちに、彼は物語という<ヴィークル>を与えて小説として昇華した。ぼくは勝手にそう思っている。

そして何より--これが肝腎なのだが--、これらの小説は面白いのである。 不謹慎な言い方だが、この場合、面白いことは死者への手向けなのではないか。

あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない。 (中略) しかし、背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。 (中略) その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにはならないか。 死は祓えない。祓おうとすべきではない。 更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。 (中略) 我々はヒロシマナガサキを生き延びた人たちと同じ資格を得た。 これらすべてを忘れないこと。 今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。 <<

春を恨んだりしない。 この言葉を口にする勇気を、ぼくらは持ち合わせているだろうか。 f:id:zocalo:20190311091111j:plain

【履修状況】法哲学のレポ完成!



5時起床。一昨日は午前3時起床して、そのまま[新・法哲学]の新規レポートを作成していた。昨日土曜日もスキマ時間などを使って、書いていた。
この土日で一気に完成させてしまおうと考えていた。4月試験の対策もしなければならないし。

昨夜でドラフトは完成。4500文字ていど。さいきんは個人的に、その科目が4単位だろうと2単位だろうと、レポート文字数上限数は意識することなく書いている。そのうちなにか言われそうな気がする。

今日午前推敲して、夕方に投函した。[新・法哲学]の科目試験は7月を予定している。

[放送英語リーディング]は第34回までで、法哲学のレポ優先のためいったん中断している。明日からは再開して、今週で最後まで視聴したい。来週からは[放送英語ライティング]に移れればいいかな。

試験対策は[西洋外交史]を途中に[政治思想史]をはさんで3週間ていどの予定。
新規レポート作成まで手が伸ばせるだろうか。

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感謝のことば

6時起床。久しぶりに寝坊したというか、のんびり起きた。
懸案だったISO審査が昨日で終わり、わたしの年度後半の大きな仕事はいったん区切りがついた。それでホッとしたことも寝坊の理由の一つだし、もうひとつは、審査が通っても誰にも労いの言葉ひとつもらえなかったことがいささかのショックだったこともある。

何も「感謝感激雨あられ」状態がほしいわけではなく、ただささやかな感謝の〈空気感〉が欲しかっただけだ。
何のために審査をしているのか。
わたしは単に事務局という立場であって、審査の結果を享受するのは〈現場〉なのだが、自分たちのモノだという意識がないのだね。

事務局がやって当たり前。
審査合格するのが当たり前。

そんな仕事に携わっている自分自身が悲しくなった。
労いの言葉ひとつくらいかけてくれる仕事を、見つけよう。労いの言葉に値する仕事を。

今月中旬に参加する読書会の課題テキストである、プラトン『饗宴』(光文社古典新訳文庫)を、なんとか読了。感想を書いてきて欲しいということなので、これからレジュメを書くことにする。

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

放送英語その他、不捗。詮方なし。
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【漫筆】1日は140文字で足りる?

一昨日昨日は、こんな感じです。


おそらくですが、わたしの1日は140文字で足りるのではないかと、Twitterを眺めるたびにひそかに思っております。
今週、今日まではISO審査があるので、事務局担当としてはそれにドップリと浸かっています。
科目試験まで、今日でちょうど1ヶ月ですので、試験対策を進めつつ新規レポ作成をしていくといった段取りを粛々とこなしていこうとしています。
この〈粛々と〉というのが厄介というか、なかなかできないものなんですね。だからさいきんはこのブログも途切れ途切れでしてw 昨夜も地元の友人たちと飲んでいたりしていました(これは新年会という位置づけなんですけどねw)。

今日が終われば、仕事も少し落ち着くので、試験対策に進んでいきたいと思いますし、そのあたりの近況もぼちぼち投稿していきます。

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【放送英語ライティング】通信教育の大事なことは

いつも間にか3月になっていましたが、わたくし的には、こんな感じでした。

[政治思想史]のレポは、慶應通信サイトでは「添削中」ステータスになっていました。
これで科目試験は受けられそうです。

腸炎になりましてん。
いろんな方からメッセ頂戴しました。有り難うございました。
いまようやく快復の途上ですが、メシの量は原状復帰はしていないです。

そんなときに、わが家に一大事が勃発!

昨日は、学校関係者等に御礼のあいさつに出向いていました。胃腸炎もどこかに吹っ飛んでしまった感がありますw
すっかりペースを乱されてしまったのですが、ここは[放送英語ライティング]と[放送英語リーディング]の両方を聴いて少しペースを取りもどしました。ペースというより、気持ですかね。

じつは[放送英語ライティング]の最終回を先取りして聴いてしまいました。というのは、レポート講評が最終回にあるというので。これは[放送英語リーディング]もそうだそうです。
その中で、授業の最後にあたり、担当されている井上先生がこんなことをおっしゃっていました。

放送英語は自分との戦いです。
いろいろとご事情がありましょうが、ぜひ続けていってもらいたい。
頑張るのではなく、続ける。
これが通信教育では大事なことです。

思わず引用。頑張るときもあるし頑張らないときもある。でも止めない。立ち止まるときもあるけれど、でも止めない。
拳拳服膺。

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