慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【四十を過ぎて父親に #3】 妊娠した! 2

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前述したように、妊娠したときにはM氏は42歳。
立派な高齢出産である。

いわゆる高齢出産というのは、年齢的には35歳以上でのことらしい。妊娠することのリスク、出産することのリスクは、35歳未満と比べるとかなり(というか格段に)高くなる。
さいきんでは、晩婚化が進んでいることもあって(一時期、「卵子老化」という言葉も流行りましたよね。流行り廃りの問題ではないですけれど)、高齢出産というのは珍しくなくなったようだ。
でも珍しくなくなっても、リスクが減っているわけではない(医療の進歩はあるにせよ)。そういえば、45歳以上で子どもを産んで、その子がいろんな疾患をともなって産まれてきた、という政治家もいらっしゃった。

M氏が子どもを欲しい! と思ったのは、39歳ごろのようだ。
きっかけは、彼女の友だちのRさんが子どもを授かったのを見てだったという。
それまでも、彼女の友だちが何人も妊娠したのを見てきているのに、そのときにはたいして欲しいとは思っていなかったようだ(正確に言うと、32歳のときに子作りに励んだことがあるというが、僕にはその記憶があまりない。そういえばそうだったかなーという感じ)。

それがR子さんのおめでたを聞いたときには、違ったのだという。
以前となにが違ったのか。

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M氏は当時、そのことをこんな風に書いている(一部加除修正)

■こどもがほしいと思ってから、妊娠検査薬で陽性が出るまで(抜粋) (2008.8.27)

こどもがほしいと本気で思った最初のきっかけは、親しい友人達がつぎつぎと妊娠していったことでした。

そんな2007年の11月、私は39歳になっていました。
そこで初めて
ヤバイ、このままのん気にしてると産めない年齢になる!」
と、切実に思ったのでした。

以前に比べて、生理の期間も量も減ってきていました。
もしやこのまま、閉経してしまうのかも。
なんて不安も頭をよぎりました。

「こどもがほしいなら、いまから頑張らないと間に合わない。
真面目に取り組もう!」
そう思ったのが2007年の12月でした。

彼女から「子どもが欲しい」ときっぱりと聞いたとき、僕はずいぶん焦った記憶がある。
結婚して10年、ずっと子どもなんて要らないと思ってきたし、そういう前提で生活してきた。もう来年には40歳になる。決して仕事人間というわけではなかったが、かといって家庭的なタイプでもなかった。自分は単に怠惰な人間だと思っている。

自分という人間の、アバウトさルーズさ実生活無能力ぶりからすると、産まれてきた子どもを立派に自立させるように育てるなんて、とうてい無理だと思っていたし、子どもを授かったいまでもそう思っていたりする。
二人暮らしの気ままさが終わることを嫌ったというのもある。子どものいないデラシネな生活が、僕らに合っていると思っていた。ふらっと温泉旅行に出かけたり、おいしい料理を食べたり、趣味のセミナを楽しんだりしているのが、子どもができることで大きく制限されることになると予想された。

漱石だったか、「あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と言っている(『彼岸過迄』だったかしら)。
その伝で言えば、僕らの気ままな生活は「子どもで終わる」(こんなことオヤジが言っているのをあとで娘が読んだら、どんな気がするだろう)。
ことほど左様に、否定の言葉なら、いくらでも口にすることができる。でも、口にできることとじっさいに口にするのとは、もちろん違う。(つづく)