慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

ある人の死について思うこと

人の死を「感動を有り難う」といかにも〈言ってのけた〉風にまとめるのは、余程の無神経かボキャ貧か鈍感か、いずれにしても人の死を悼むとはどういうことか、知らないのだろう。 死者に対して生者ができることは、その死を悼むこと、その人を忘れないこと、安らかなれと祈ることである。

「感動を有り難う」という言葉は、そのいずれをも貶していると、わたしは思う。 なぜなら、その言葉が向いている先は、死者でなく言葉を発したその人自身だからである。