慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

【刺さる読書021】『仕事道楽 新版』で鈴木敏夫が言った、仕事は何をやるかでなく、誰とやるか。

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鈴木敏夫『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』(岩波新書)、読了。来週「思い出のマーニー」公開を控えて、ジブリ関連商品がぞくぞくとでてきている。

ここでは、鈴木自身がジブリで関わった、宮崎駿高畑勲、故徳間康快、を中心にして、数多のスタッフ、関係者たちのエピソードがここぞとばかりに披露されているが、まあとんでもないオヤジどもである(笑)。ジブリは日本で一流の表現を担っている会社であるからして、そりゃあその現場が普通であろうはずがないと想像するが、ぼくの想像なんて楽々飛び越えられている。

そんなオヤジともととことん30年付き合って、鈴木はいう。

ぼくにとって何が楽しいといって人と付き合うことほど楽しいことはない。好きな人ととことん付き合う、好きな人に囲まれて仕事をする、これは最高じゃないですか。

この後につづく、「無理に何かになろうとしないで、そのときどきのことを楽しみ、その人が好きだからやる」という一文を読むと、とても羨ましい。

いくつかページの耳折りをしたが、とても救われた感じがした箇所はfacebookにも投稿したけれど、こんな一節。本書の主旨とは関係のないところで恐縮だが、たまたまその日シェアした別の記事と内容がシンクロしていたので驚いたのだ。

人間の生き方にも2つあると思っています。目標を持ってそれに到達すべく努力する。それは、簡単にできることではありません。僕なんかも目標がなかったから。もう1つは、目の前にあることをコツコツこなす中で、自分に向いていることを見つけていく。 これが”生きる”ということだと思います。
その中では困難にも出会うでしょうが、困難は楽しんだほうがいい。その時のコツは、困難を”他人事”だと思うこと。問題を客観的に見ると解決方法が見つかることがあるんです。

目の前のことをこつこつというのは、ぼくの変わらない姿勢です。ぼく基本的に受け身でやってきて、目の前のことをこつこつやることで開ける未来もある、と思ってきました。それはいまも変わりません。

同時にぼくは、ここで岡田斗司夫のこの言葉も覚えておきたい。
彼が本書の旧版についてTwitter上で公開読書会をしたときのコメント。公開読書はいったん区切りがついたが、Twitter上では組織論が続いたらしい。それを受けての岡田の締めの言葉。

僕が言いたかったのは要するに「人を自分の物差しで測れると思ってはいけない」ということ。
twitterでこういう話に参加する人は頭がいいから、すぐに「わかろう」としてしまう。でも大事なのは「わかんない」という不安定な状態で判断を下さないまま、脳内でずっと気にかけておくことだと思う。
すぐに判断して「つまり○○~ということですね」というのは、いっけん頭が良さそうに見えるけど、それは「頭の廻りが良い」というだけ。
しんどくて面倒だけど、「脳の沸点を保った状態で、判断保留にする」というのが一番いいよ。
 
鈴木敏夫というのは簡単に理解できない「怪物」だ。それは宮崎も高畑も富野由悠季だって同じ。「わかった」と思った方が負けなんだ。それよりも「よくわか んないけど、そうかもしんない」ぐらいの状態を10年ぐらい続ける。すると人間観察力というか、解釈の幅がびっくりするぐらい広がるから。
人間は「わかった」瞬間から成長が止まっちゃうよ。(岡田斗司夫『「仕事道楽―スタジオジブリの現場」を読む』2010.4.21 http://blog.freeex.jp/archives/51227794.html

怪物。
彼らは、ぼくらのずっと遙か上空を行っているのだ。