慶應鶏肋録

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(アドベントブックレビュー2018)O・ヘンリー「賢者の贈り物」

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O・ヘンリー「賢者の贈り物」(芹澤恵訳、光文社古典新訳文庫)読了。クリスマスシーズンということで、O・ヘンリーでもう一編。

クリスマスといえば、いつも思い出す短編は、カポーティでもディケンズでもなく、O・ヘンリーの「賢者の贈り物」(1906年作)である。普通っぽいですか?
ぼくが覚えている「一行」は、

人生は、”むせび泣き”と”すすり泣き”と”微笑み”から成り立っていて、なかでも”すすり泣き”の時間がいちばん長い。

 
もうすぐクリスマスだというのに、デラとジムの手元にはわずかな貯えしかない。ふたりはそれぞれ相手のプレゼントを賄う算段をする。
妻のデラは、夫のジムが代々受け継いで大切にしている、金の懐中時計を吊るすプラチナの鎖を買うために、自慢の髪を切って売ってしまう。
いっぽう、ジムはデラが欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の金時計を質に入れてしまった。
新約聖書で、キリスト誕生を祝いに、東方の三博士が贈り物を持ってきたエピソードを下敷きにしたというこの物語の結末で、作者は若い夫婦の、一見すると愚かで哀しい行き違いについて、こう讃える。

最後に一言、現代の賢い人たちに申し上げたいことがある。贈り物をする人たちのなかで、このふたりこそが最も賢い人たちだった、ということだ。(中略)いかなる時空にあっても、いかなる境遇にあっても、このふたりほど賢明な人たちはいない。彼らこそ賢者である。

小説の結構としては、

「ぼくたちのクリスマスの贈り物は片づけて、しばらくはそのまましまっとこう。今のぼくたちには上等すぎる。あの時計は売っちゃったんだ。きみの櫛を買うのに金が必要だったから。さて、そろそろ肉を焼いてもらおうかな」

というジムのセリフで終わってもよかったのではと個人的には感じる。そこからさきの、作者の”解説”は、蛇足に感じられるかもしれない。ふたりが陥ったシチュエーションは、ジムのこの言葉ですでに救われているのだから。
とはいえ、クリスマスという、家族や恋人たちがお互いを向き合う大切な時間に、作者の一言は、行き違いから生じたビターな結末を、ふっとなごませてくれているのも確か。
現実の厳しさだけを突きつけるだけが、小説の役目ではないのである。

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 (光文社古典新訳文庫)

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 (光文社古典新訳文庫)