慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

◆ 沖縄慰霊の日に(今日の天声人語 #8)

ポーランドノーベル賞詩人シンボルスカについては、池澤夏樹の『春を恨んだりしない』という本で知った。その本のタイトルにもなっている。
勇気が要っただろうタイトル付けに惹かれて、本を手にとった。

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池澤夏樹『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(中央公論新社)、読了。

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

タイトルを一瞥して、なんと厳しい言葉かと思った記憶がある。震災後のわずか半年後に、思索エッセイとはいえこの表題を世に出すのにはそれ相応の勇気と準備が必要だったろう。
その印象にいまもあまり変わらない。数々報道されているように、復興が進捗していないと感じている人が70%もいる現在であればなおさら。
復興に関していえば、著者はこう書いていた。

震災と津波はただただ無差別の受難でしかない。その負担をいかに広く薄く公平に分配するか、それを実行するのが生き残った者の責務である。亡くなった人たちを中心に据えて考えれば、我々がたまたま生き残った者でしかないことは明らかだ。

そのタイトルは、震災以来ずっと著者の頭のなかに響いている詩の一行なのだという。ヴィスワヴァ・シンボルスカ*1の「眺めと別れ」という詩の最初の部分である*2

またやって来たからといって 
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと (後略)

この作品は、彼女が夫を亡くしたあとに書かれたものだという。
震災後、何人かの作家が震災をテーマにして作品をものにしてきた。池澤もそのひとりで、去年の『双頭の船』(新潮社)、今年の『アトミック・ボックス』(毎日新聞社)とつづけて上梓しているが、その発端にこの本が位置している。もちろん、彼には『楽しい終末』(中公文庫)という20年以上まえの評論集があって、そのなかで核や原発についても章をいくつか割いて論じているが、それはあくまでも評論という形で閉じてしまっていた。

双頭の船

双頭の船

アトミック・ボックス

アトミック・ボックス

終わりと始まり

終わりと始まり

楽しい終末 (中公文庫)

楽しい終末 (中公文庫)

それが具体的な小説という形になったのは震災が直接的なきっかけだろうが、小説の前に、まず彼は事象を整理した。多くのひとたちとの出会いと対話とたくさんの涙とともに、起きたことを自分の言葉で腑分けしてファイルに収めていった。これが本書である。
それで整理のつかないものたちに、彼は物語という<ヴィークル>を与えて小説にした。ぼくは勝手にそう思っている。
そして何より--これが肝腎なのだが--、これらの小説は面白い。不謹慎な言い方になるかもしれないが、この場合面白いことは死者への手向けなのだと思う。小説の力をきちんと示した作品だから。

あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない。(中略)
しかし、背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。(中略)その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにはならないか。
死は祓えない。祓おうとすべきではない。
更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。(中略)我々はヒロシマナガサキを生き延びた人たちと同じ資格を得た。
これらすべてを忘れないこと。
今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。

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*1:ポーランドの詩人、随筆家、翻訳家。1996年、ノーベル文学賞受賞。2012年2月1日逝去。

*2:ヴィスワヴァ・シンボルスカ著、沼野充義訳 未知谷