慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

「何でもいいから、なるべく能書のつかないところをくれ」

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イケダハヤト師の新刊について。
ぼくにとっては初見で、感想を書こうとしたけれど、違和感を大いに覚えたので保留にしてます(でも否定とかではなくて、ぼく自身の意見をまとめるために保留)。

いい大人なら、いまどきだろうとこれまでだろうと「努力は報われる」って思っている人なんて、滅多にいないでしょう。それを前提にして噛みついてもなあと単純に思ったりしてます。この本の前半は要りませんね。
あ、終わっちゃったかも。

ということで、感想文の投稿予定がうまく運ばなかったので、遅ればせながら、写真のウナギをば・・・。
肉厚でしょう?

・・・と、お察しの通り、これはフェイク。
じつは、ちくわをそれっぽく仕上げてみたものです。
「ちくわの蒲焼き」です。

つくりかたは、

  1. ちくわ4本を用意。それぞれを真ん中から唐竹割りで。
  2. つづいて、調味料「酒(大さじ1.5)、砂糖(大さじ2)、みりん(大さじ1)を合わせる」を用意しておきます。
  3. ごま油をひいて、ちくわをこんがりするまで焼きます。
  4. 2.の調味料をちくわの表面に塗りつつ、両面を焼きます。

見た目、なかなかそれっぽく出来上がったのではないかと。
しかし、案に相違してけっこうな歯ごたえがありました。噛み切るのが大変なことったら(笑)。ちくわは少し高めのものを使ったのですが。
ま、フェイクはフェイクです。

とここで終わるのもナンなので、ウナギに関する話。

ノンフィクション作家・本田靖春の『我、拗ね者として生涯を閉ず』から。
本田の尊敬する社会部記者(朝日新聞の。)が、ウナギの名産地・浜名湖を訪れ、そこに江戸時代からつづくという蒲焼きの老舗を訪れた。

浜名湖の周辺だったと思うが、江戸時代から続く蒲焼きの老舗あり、門田氏*1はこの店を訪れる。お相手をするのはこの道ウン十年の、七代目だか八代目だかに当たる主である。

うなぎは開き三年、刺し七年とかいって、焼くようになるまでには、長い修業を積まなければならない。だが、もっと年季がかかるのが焼きで、主にいわせれば焼き一生であるという。

彼の手の指は、やけどでひっれて、内側に折れ曲がったまま伸びなくなっている。長年、備長炭の熱に焙られて変形してしまったのである。それだけ年季を入れていても、満足に仕上がるのは一日にせいぜい一串か二串なのだそうである。

蒲焼きと一口にいっても奥が深いものなんだ、とは思わせるが、料理人の自慢話の定型にややはまり過ぎたきらいがないでもない。だが、なぜか、皮肉が持ち味の門田氏は、その片鱗さえみせず、淡々と主の語りを追う。それでいて飽きさせないのは、さすがというべきか。

ところが、文章は終りにきて、突如、冴えを発揮する。

「ところで先生、どういうところを差し上げましょうか」

と向き直る主に、門田氏のひとこと。

「何でもいいから、なるべく能書のつかないところをくれ」

文章はそれで締めである。すかっとしませんか。このあたりがいかにも社会部記者なんだなあ。権威とか権力とかに、おいそれとは恐れ入らない。そんなことは恥ずかしいと心得ている。社会部記者気質の一端がそこにのぞいている。

我、拗ね者として生涯を閉ず(上) (講談社文庫)

我、拗ね者として生涯を閉ず(上) (講談社文庫)

我、拗ね者として生涯を閉ず

我、拗ね者として生涯を閉ず

*1:名文家と知られていた朝日新聞社会部記者で、編集局長にもなったが、朝日新聞の社主家の藤村於藤と折り合いが悪く、自ら社会部を希望して編集局長から平記者になった。