慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

”還暦”ゴジラは、ここからはじまった (「ゴジラ」映画シリーズ #1)

f:id:zocalo:20140522064725j:plain

第1期・昭和ゴジラシリーズのはじまり

今年2014年は、水爆大怪獣「ゴジラ」の映画第一作が公開されてから60年の節目。
いわば、ゴジラは還暦を迎えたわけだ。

ハリウッドでは、16年ぶりに新作の『GODZILLA』も公開され(日本では今夏公開予定)、それを記念してCS放送日本映画専門チャンネルでは、今年3月から1年にわたって、毎月5日、15日、25日に、ゴジラシリーズ作品全30作(ハイビジョンリマスタ版)を順次放送している。

録り溜めたまますっかり放置してあったゴジラ映画だが、今日(5/21)から5/26まで、ブログを立ち上げて毎日更新、というかさこ塾の「セルフブランディング術」の課題が昨夜だされたことがきっかけで、棚卸ししてみようと考えた。ブログのネタのひとつとしてしばらく観てみることにしたのだ。
今日は、1954年公開のシリーズ第1作『ゴジラ』を息子と。


ゴジラ - YouTube

60年まえの「生々しさ」

度重なる原水爆実験の結果、海底の安穏の地を追われて出現したとされているゴジラ
いわば、人間の身勝手さが引き起こした「災害」だが、製作された1954年という時代背景を念頭に置いておくと、「生々しさ」を随所に感じさせる。

1954年といえば戦後から9年である。まだ戦争は人びとのなかにリアルな記憶として残っている。もちろん、広島・長崎の原爆投下もそうだ。
その年の3月1日には、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びた(無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡)。
と同時に、政治の世界では、若き中曾根康弘代議士を中心として、「原子力平和利用」にたいする予算案が提出されて可決され、それにたいして各地でそういった動きに反発する行動が起こっていた---というように、原子力をめぐる新しい動きが表面化し、世間でも原子力への関心が高まっている時期でもあった。

だから、水爆実験で人間世界に出現し、放射能を大量に浴び、かつ口から放射能を帯びた白熱光を噴出させて市街地を焼き尽くす、というとんでもない未知の生物(怪獣)あらわるという、荒唐無稽な設定でも、人びとにはリアリティをもって迎えられたのだろう(この設定が東宝の企画会議で通ったことがそもそも時代性を帯びている)。

ぼく自身が印象に残った箇所はいくつかあるが、なかでもガイガーカウンターの存在と、臨時救護センタでの被災者の描かれ方が「生々しさ」を感じさせた。

前者は言うまでもなく、放射能を測定する器械で、3.11以降すっかりおなじみとなってしまった。
映画では、大戸島を襲来したゴジラの脅威を表現する道具として使われ、また(考えてみればおかしいのだが)海中でゴジラの所在を突き止める器械として用いられている。
身長50メートル*1の怪物がどこにいるかなんて、海中ソナーあたりなら解りそうだが(当時その技術があったかどうかは未確認*2)、そもそもガイガーカウンター1台で確認できるものかどうなのか。
しかし、ガイガーカウンターすなわち放射能の存在を示すものなので、それを使ってゴジラを探索するということは、ゴジラが大量の放射能を身体にまとった存在、という表現として成立している。

また、ゴジラによって被災された人たちに、ガイガーカウンターが向けられ、器械が彼らが浴びてしまった放射能に無思慮に反応する様には痛々しさを感じた。
とくに被災児童たちへのシーンは。
わざわざ指摘するまでもなく、このシーンから思い出すのは広島・長崎への原爆投下だけでなく、福島第一原子力発電所事故だろう。
さらに、オキシジェンデストロイヤの使用を頑なに拒否する、青年芹沢博士を翻心させたのは、被災者たちに向けられた「平和の祈り」だった。

これらのシーンひとつひとつに、3.11を経験した、60年後の日本人は「昔の荒唐無稽話」とは簡単言い捨てられないリアリティがある。
かつて、コラムニスト山本夏彦は、「100年のうちは同時代」と言った。
60年前の「生々しさ」は、そのままぼくたちの「生々しさ」に通じている。

あらすじ

※ネタバレあり。
太平洋上で、貨物船や漁船が遭難する事件が相次いでいた。救出された大戸島の漁師が「巨大な怪物に襲われた」と証言し、そのことから大戸島の古老は、大戸島の伝説に伝わる怪物「呉爾羅」の仕業ではないかと漏らす。

ある暴風雨の夜、大戸島はあきらかに自然の猛威と考えられない未知の力によって、家屋が破壊され住民や家畜に死傷被害が出る。政府公聴会ではこれを未知の生物の仕業とする一連の証言を受け、古生物学者の山根恭平博士らによる調査団が結成された。

調査がはじまると、壊滅した村にはおびただしい放射能反応が確認された。山根博士は残された巨大な足跡からジュラ紀の古生物であるトリロバイト(三葉虫)を発見。
そのとき不気味な足音が鳴り響き、山の向こうから島の伝説に伝わる怪獣が、人びとの前に姿を現す。

東京へ戻った山根は、その巨大生物を伝説にならって「ゴジラ」と呼称し、トリロバイトと残留放射能ストロンチウム90を根拠に「200万年前のジュラ紀に生息し、海底の洞窟に潜んでいた太古の生物が、水爆実験の影響で安住の地を追われ出現したのではないか」とする見解を国会で報告した。

山根らの報告を受けた政府はゴジラにむかって、爆雷攻撃を実施した。山根は古生物学者という立場上、太古の生物の生き残りであるゴジラを爆殺しようとする政府の方針に心を痛める。

爆雷攻撃のむなしく、ゴジラ東京湾にゆっくりと姿を現し、そのままなにもせず海中に没した。
政府は「特別災害対策本部」を設置。政府高官は山根にゴジラ撃退の方法を尋ねるが、博士は水爆の洗礼を受けなおも生命を保つゴジラの撃退はできないと断じ、むしろ放射能を浴びても生き残ったその生命力の研究こそ緊急課題だと主張した。

新聞記者の萩原は、山根の娘・恵美子を訪ねる。ゴジラ対策に有効なプランを持つと噂される、科学者の芹沢博士との面会を申し込むためだった。
芹沢は恵美子と結婚するはずだったが、戦争で片目を失うと恵美子との婚約を破棄し、自分の研究室に独りこもっていた。
芹沢はけんもほろろに萩原を追い返すと、恵美子にある実験を見せる。そのあまりにも酷い現象に恵美子は一時失神し、芹沢は「絶対に他言しないように」と固く口止めする。

その夜、ゴジラ東京湾に出現し、芝浦に上陸。防衛隊(自衛隊とは明確に言っていない?)は高圧送電線式の鉄条網を東京湾沿岸に張り巡らせ、ゴジラの上陸を阻止し感電死させようと計画する。

しかし京浜地区に接近したゴジラは、高圧電流も防衛隊の攻撃もものともせずに、再び東京に上陸。ゴジラはその口から放射能を帯びた白熱光を吐き、首都東京の中枢を破壊していく*3
焦土と化した東京と、放射能を浴びた児童の姿を見て、被災者救護ボランティアをしていた恵美子は、耐えきれずついに、恋人の尾形に芹沢の研究を話すことを決意する。

芹沢が研究していたのは、水中の酸素を一瞬にして破壊し、あらゆる生物を死滅させ溶解する「オキシジェン・デストロイヤー」であった。
尾形の懇願に、オキシジェン・デストロイヤーの使用をかたくなに拒む芹沢だったが、尾形と恵美子の熱意と、テレビに映し出された被災者たちの姿に、とうとう一度だけ使用することを認める。

尾形とともに東京湾に潜った芹沢は、オキシジェン・デストロイヤーの装置を作動させ、苦しみつつ溶けていくゴジラを見届けつつ、芹沢自身も自ら命を断った。オキシジェン・デストロイヤーの将来の悪用を憂慮してのことだった。
その決然とした最期に、山根は「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない」と、ひとりつぶやくのだった。

*1:身長設定はたびたび変更されている。

*2:と、シリーズ第2作「ゴジラの逆襲」の冒頭で、海上を飛ぶプロペラ機が魚群の存在を無線で知らせるシーンがあるので、きっと海中ソナーのような技術はまだ汎用的ではなかったのかな。

*3:銀座松坂屋が火に包まれ、銀座和光ビルの時計塔を破壊した。日本劇場、国会議事堂を叩き壊して、ゴジラの破壊ぶりをを伝える報道陣もろともテレビ塔(東京タワー)をなぎ倒した。