慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信の勉強(卒論)、ついでの雑用とか

政治学のテキストを忘れたので代わりに読んだもの

6時起床。なんだなんだ、娘が先に起きているぞ。空気が昨日より涼しくて、尿意でベッドから出てきたみたい。

昨夜は[放送英語ライティング]の12回目を聴く。7月配信分にようやくキャッチアップしてきた。今夜もつづきの13回目を聴くことにしよう。

幾分か涼しいので汗もあまり掻かずに助かる。 それに油断したか、通勤電車に乗った瞬間に「あ、政治学のテキストを忘れた」と気づいた。カバンの中には、藤沢周平の短編集『時雨みち』(新潮文庫)しかない。

この文庫本は昨日買ったものだ。それも、わざわざバスを途中下車して銀座の教文館で。なぜか店の棚で花火セットを売っていたんだけどねw

この文庫は、昔お世話になったOさんにTwitterで薦められたものだ。彼は、わたしが通っていた宣伝会議の「編集者・ライター講座」の事務方を担当していた。当時、講座の〈校長〉は、元週刊文春編集長の花田紀凱さん。

あー、この話をしはじめると長くなるので、止めておく。

Oさんは、いま関西で〈理系ライター〉として活躍されている。しばらく前に彼のTwitterのフォロワーになっていたのだが、7/20に死亡記事がでていた、脚本家・橋本忍について、先日tweetしていた。

松本清張砂の器』の脚本を橋本さんが手がけたときのエピソードである。 原作にある「福井県の田舎を去ってからどうやってこの親子二人が島根県までたどり着いたかは、この親子二人にしかわからない」という一行から、橋本氏が『砂の器』のラスト30分を作り上げたというもので、映画ファンや原作ファンならご存知なんだろうが、わたしは知らなかった。

このtweetにOさんのフォロワーさんが反応して、こんなtweetをしていた。 脚本家の中島丈博さんが「うまく書こうと思うな正確に書け、と言われました。『赤ん坊を背負った女が』でなく『女が赤ん坊を背負って』。つまり観客の目に入る順番が重要だ、と」橋本さんに言われたそう。朝日新聞の記事らしいが、わたしは見ていない。

そのtweetにたいして、Oさんが藤沢周平の剣戟の描写に似ていますね、と返したことが、この『時雨みち』の紹介へとつながっている。その短編集にはいっている「山桜」という短編が素晴らしいので、ぜひ読んでみてくださいとOさんから言われたのである。

ならば読むしかないではないか。

ということで、昨夕慌てて求めた一冊が、カバンの中に入っていたというわけ。 で、政治学のテキストを忘れたわたしは、満員電車のなかで読みはじめた。正確にいえば、つづきを読んだ。

身体の中を涼気が通り過ぎていった。